永禄12年(1569)、
伊勢北畠氏討伐の軍を発した織田信長は、
北畠具教が籠る大河内城に向かって進軍中、
北畠氏の支城・阿坂城に降伏を勧告した。
ところが城主・大宮入道はこれを激しい調子ではねつけたので、
これに腹を立てた信長はならば攻めよと、
先手の軍勢を呼び返して阿坂城攻めを命じた。
この時の織田勢の先陣は木下藤吉郎秀吉であり、
真っ先に進んで阿坂城に攻めかかったが、
城主大宮入道の子息・大宮大之丞は高名な強弓の上手であったため、
寄せ手は容赦なく矢を浴びる羽目になり、
秀吉自身も左の太ももを射られてしまった。
ところが、秀吉は少しも怯まずに味方を励まし、
ひたすらに攻め立てたので、
たちまち城方は疲れ果てる。
ここで大宮の家老・遠藤源五右衛門、同條助は、
敵が大勢なので臆病風に吹かれたか、
にわかに心変りして寄せ手に内通し、
城内の鉄砲の火薬に水を入れ、使い物にならなくしてしまった。
こうなっては大宮もどうしようもなく、
士卒の助命を条件に開城し落ち延びていった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!