織田信長の御世の事。
奥州岩城より、その地の小領主、白土摂津、車、久保田という三名のもの、
伊勢参拝に出かけた。
その参拝の帰り、当代の実力者、
織田信長の居城を見物しようと、安土に向った。
その頃、安土では、信長主催の能興行があり、
当代の名の知れた能楽師が皆集まると言うので、
この見物のため大変な人出であったそうだ。
東北から来た三人、宿の主人に案内してもらい、
安土城内に建設された能舞台の、
その楽屋に出入りする人々を見に行った。
「あれは○○様、今出てきたのは○○様。
…あっ、あそこにいらっしゃったのが、
御当家無二の出頭人、羽柴秀吉様です!」
「ああ、あれが羽柴殿!我らのような遠国のものでも、
その名は聞き及んでおります。」
だがこの時、秀吉のほうもそのすばしこい目で、彼ら三人を捉えていた
「あの見慣れぬ風情の男達、一見安土の者のようだが、
あの物騒ぐ様子、さてはどこか遠国からきたものだな。」
秀吉、見物の人々を掻き分け、その三人の側に出た。
「お主たち、何所から参られた?」
三人、隠すほどのことでも無いと考え、
「我ら奥州は岩城の、かくかくしかじか、このような者であります。」
とありのままに語れば秀吉、
「なるほど、たまたまここに参られたのか。
いやしかしこれも何かの縁、良ければ今後、
都鄙の遠路に離れても、互いに折に触れて、
音信をしていただけるとありがたい。」
秀吉、貪欲である。
未だ織田政権の影響下には無い東北に、
いち早く知音を作ろうとしたのであろう。
この後、岩城に帰った後、他の二人は、遠き地にいる織田家の出頭人と、
音信を取ろうとはしなかったようだが、
白土摂津だけは使者を立て、駿馬一匹を秀吉の元に届けた。
時は流れる。
関白秀吉による奥州仕置き。
白土のことを覚えていた秀吉は、白土に対し、
岩城一郡を下し賜わった、とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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