大宮大之丞と秀吉 その2☆ | げむおた街道をゆく

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天正4年(1576)、伊勢北畠氏の養子となっていた織田信雄により、

北畠一族が謀殺されると、
北畠氏の旧本拠地であった多気の霧山城には、

先に阿坂城で木下秀吉を射た大宮大之丞など北畠氏の残党が集まり、
城代・北畠政成を中心に、抵抗の姿勢を示した。

これに対して具教暗殺に参加した、長野左京ら信雄配下の軍勢と、
さらに羽柴秀吉の三千余騎を加えた一万五千余騎が、

霧山城下に乱入してきた。

その時、真っ先に「羽柴秀吉!」と名乗って出てくる者があった。
城方の大宮大之丞は、

前に阿坂城で秀吉を射落としたときは仕損じたので、
今度こそは秀吉と組んで勝負せんと進んで門を開き、

弓矢を取って散々に射かけたので寄せ手は逃げ崩れた。
そして遂に大之丞は秀吉の胸板を射ぬき、秀吉は只一矢にて死んでしまった。

ところがそこに、「真の秀吉ここにあり!」
と叫ぶ者が現れ、大之丞はそれでも心得たりと矢を射かけたが、

矢種が尽きたため太刀を抜いて大勢を切り抜き、

秀吉(二人目)をも討ち取ってしまった。

しかし、この秀吉(二人目)もまた偽者であった。
又も「秀吉!」と名乗る者(三人目)が現れたのである。
流石の大之丞も疲れ果て、

当家の運はこれまでと城下の新長門守屋敷前で自害したのであった。

秀吉と名乗った者(三人目)はその後城方の村賀徳太郎に討ち取られたが、
織田方は次々と攻め寄せたので、

北畠政成らは奮戦したが自害に追い込まれ霧山城は落城した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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