結城秀康が、病気のため久しく引き込んで養生していたが、
回復したため登城する事となった。
家康も、これを大変喜び、
自らもてなしの用意を仰せ付けるなど、大いに張り切っていた。
ところが、
登城当日、事態は急変する。
秀康の傍衆に、病後の秀康の様子を尋ねた家康は、
たちまち機嫌を悪くし、
対面を中止、秀康には退出するよう命じた。
秀康の家臣は勿論、
家康の側近まで色々と詫び言をして、
どうにか対面のあるようにと頼み込んだが、
家康の不機嫌は一向に収まらず、
報告を受けた秀康も大いに困惑したが、
とにかく、その日は退出した。
家康が、機嫌を損ねた理由が、誰にも分からなかった。
「秀康様は、大変気にしておられます。どうかご対面を。」
家康の近習たちも皆、そのように頼み込んだが、
家康は、
「一刻も早く会いたいのは、わしとてその通りだ。
だが、先ほどのように勿体をつけて登城するのであれば、
会う事などできようか。」
と、言うばかりであった。
そこで皆は、
「それはどう言う事なのでしょうか?
もう少し詳しくおっしゃっていただければ、
秀康様に、ご意見する事もできます。」
と、言うと、家康はようやく説明を始めた。
「わしは、秀康が今度の病気で、
鼻が変形し見苦しい姿になった、と既に聞いていた。
だが先日の登城の際、
秀康は、貼付薬をつかって鼻の変形を隠していたと言う。
美男を好むなどと言うのは、町人か公家のやる事である。
本来、病気で顔の形が醜くなった事を、
気にする必要など全くない。
人間にはさまざまな病気がある。
目玉の抜けること。
口のゆがむ事。
手足が萎縮するものもある。
だがこれらはすべて病気である。
どんなに見苦しくとも、恥ではない。
家康の子であり、一軍を束ねる立場にある秀康が、
鼻の形を気にして貼付薬をつけ、
見栄えを良くするなど、もっての外の汚い心である。
一般に人の上に立つものは、
少しのことでも気をつけなければならない。
もし対面すれば、その鼻を隠した秀康を、
家康は、見てみぬ振りをしたと取られよう。
それは秀康の弱さと取られ、逆に鼻の事をあげつらわれる事になり、
秀康は旗本や家臣たちに侮りを受けるであろう。
そうあってはいけないと思い、対面を止めたのだ。」
その後しばらくして、秀康は貼付薬を付けずに登城した。
この時、家康は大変に機嫌が良く、前の支度以上にもてなし、
秘蔵の道具なども多く与えたと言うことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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