家康と平塚越中守☆ | げむおた街道をゆく

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三成の奉行に、平塚越中守という者がいた。

世に知られた武士であったので、彼が浪人していた時、
徳川家康も仕官を誘ったが、

「家康公は、ケチなので嫌でござる。」
と言い、気前の良い石田三成の元に使えた。
 

やがて関ヶ原が起こり、平塚は落ちのびる最中生け捕りにされた。
 

かつての事を覚えていた家康は、引き出された平塚に、

「わしの誘いを断り、三成に使え、この様か。」

と嫌味を言う。
 

それに平塚は、

「何を言うか! 

徳川殿とてかつては今川に人質にされ、

戸田にさらわれ、織田に売られたような身であったではないか!」

と家康を散々に罵り、

「さあ、早く首をはねよ!」

と啖呵をきった。

それを聞いて家康は、にやりと笑い。
「さても憎い奴だ。

お前のような奴に一瞬しか苦しまない斬首はもったいない。

生かして世の苦しみを味あわせよ。」
といい、縄を解き召し放してしまった。

左右の者たちが、

「何故あのような無礼なものを! これでは処罰になりませぬ!」

と抗議すると、
 

家康は、

「あ奴は見所のある奴だが、苦労が足りぬ。

苦労して人を磨けば、わしの息子達の家臣にしたいほどの、良い武士になるであろう。

そう見込んだから、命を助けたのだ。」

といった。

この平塚越中守の名が、

紀伊家初代・徳川頼宣の家臣の中に現れるのは、この暫く後の話である。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ どうする家康・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!