戦の布陣☆ | げむおた街道をゆく

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徳川家康は、戦の布陣のとき、

ライバル関係にある部隊を隣り合わせにすることが多かった。
これは、部隊の奮起を促すためのものであった。

たとえば、三方ヶ原の戦いでは、

石川数正の西三河衆と、酒井忠次の東三河衆を隣り合わせに配置した。
 

彼らは、

「西衆に負けるな!」

「東衆に負けるな!」

と奮起し、

一時は、山県昌景の軍勢を、押し戻す活躍を見せた。
 

しかし、疲れたところを横から内藤修理の攻撃を受け、敗走した。

また、長久手の戦いでは、大須賀康高を先鋒に、

娘の夫である榊原康政を次鋒に任命した。
彼らは連携して豊臣秀次の軍を敗走に追い込むことに成功した。
ところが、次の敵を追う際、

「大須賀衆に負けるな!」

「榊原衆に負けるな!」

と、突然、かけっこを始めてしまった。

かけっこは、次鋒のはずの榊原康政が、先鋒の大須賀康高を追い越す、
という抜群の脚力を見せて勝ったのだが、

敵前に出るまでにヘトヘトになってしまった。

そこを百戦錬磨の堀久太郎が、見逃すはずもなく、

2部隊は敗走を余儀なくされたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ どうする家康・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!