徳川家康は、戦の布陣のとき、
ライバル関係にある部隊を隣り合わせにすることが多かった。
これは、部隊の奮起を促すためのものであった。
たとえば、三方ヶ原の戦いでは、
石川数正の西三河衆と、酒井忠次の東三河衆を隣り合わせに配置した。
彼らは、
「西衆に負けるな!」
「東衆に負けるな!」
と奮起し、
一時は、山県昌景の軍勢を、押し戻す活躍を見せた。
しかし、疲れたところを横から内藤修理の攻撃を受け、敗走した。
また、長久手の戦いでは、大須賀康高を先鋒に、
娘の夫である榊原康政を次鋒に任命した。
彼らは連携して豊臣秀次の軍を敗走に追い込むことに成功した。
ところが、次の敵を追う際、
「大須賀衆に負けるな!」
「榊原衆に負けるな!」
と、突然、かけっこを始めてしまった。
かけっこは、次鋒のはずの榊原康政が、先鋒の大須賀康高を追い越す、
という抜群の脚力を見せて勝ったのだが、
敵前に出るまでにヘトヘトになってしまった。
そこを百戦錬磨の堀久太郎が、見逃すはずもなく、
2部隊は敗走を余儀なくされたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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