徳川家康の御代のこと。
江戸の御蔵に納める米が非常に多く、故に欠米も多かった。
そのうえ、諸国の御代官所より、
当地までの運送の際の欠損も甚だ多かった。
そこで勘定方の者達より、
「江戸の御蔵米の棟数を減らし、
産地の近くで保管するか販売すれば、随分の徳と成ります。」
そう申し上げた所、家康は、以ての外に機嫌を悪くして言った。
「蔵の数が多いため欠米なども多く、
私の損になっているという事は、かねてより知っていた。
しかしながら万一の事が起こり、諸国の新穀の、
当地への運送が難しくなる、という事もあるだろう。
そのような時は米の値段も高騰し、
諸方より集まっている江戸の人々が食料に難儀する事態も考えられる。
そういった時に米の放出が出来るように、江戸に米蔵を多く設置したのだ。
勘定方の者達は、今や天下の勘定頭とも呼ばれている。
そういった者達がこんな事を、
私のためだと言い聞かせるような事が有って良いものか!?」
そう、殊の外、叱ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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