駿府の城下町に、遊郭ができ、
徳川家の旗本御家人に、大人気となった。
家康は、内心、御家人の遊蕩を苦々しく思ったが、
遊郭が城下町の繁栄に貢献していることもあり、
特に取り締まりはしなかった。
しかし、家康が、遊郭を放任したことで、
御家人の中には、遊郭の借金で、首が回らなくなる阿呆が出る始末となった。
そこである作戦を考えた。
ある時、駿府町奉行から、
「上様が遊郭の遊女の踊りを御覧になりたいので、
上様の御前で選りすぐりの遊女による踊りを披露せよ。」
とお達しがあった。
数日後、遊女たちは、家康の御前で見事な踊りを披露し、
家康は、遊女一人一人に菓子を自ら与えるほどの上機嫌ぶり。
そして、遊郭に帰ろうとする彼女たちに町奉行はこう言った。
「上様は、殊の外、お喜びである。
そなたたちの内から、上様のお側仕えに、何人か召し出されると思うので、
その準備だけはしておれよ。
但し、この話は内密にな。」
この話を聞いて、すっかり有頂天になった遊女たちは、
早速、客の御家人たちに、その話を自慢した。
それを聞いた御家人たちは、
「こんなに口が軽い遊女たちが、上様のお側仕えになれば、
俺たちの遊蕩も、洗いざらい上様にばれるに違いない。」
と怖れ、その日を境に、御家人の遊郭通いは、なくなったという事です。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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