大坂夏の陣の時、徳川家康が、茶臼山に据えた陣では、
祝詞を述べるために、諸大将が次々と参謁した。
この時、徳川頼宣は、ろくに戦うことが出来なかったことを悔いて、
「十四歳なのは、今だけだ。」
と、慰める松平正綱を睨みつけた。
その後、本多正信が、馬に乗って上がってくるのを見た家康が、
「坂まで上れ。」
と言うと、
正信は、
「もちろんですとも。」
と、家康の側までやって来た。
この時、藤堂高虎が、
「佐州早いな。」
と言うと、
正信は、
「今日の私の武者振りは、どうですかな。」
と笑った。
その日の正信は兜羅綿の羽織に裏付の袴、五位の太刀を身に着けていた。
さてその時、城中から黒煙が上がっているのを見ていた家康は、
小出吉英を呼び、
「あれを見よ。」
と言った。
吉英は、城の方を熟視して両手をつき、
「なんと痛ましいことでしょう。」
と言った。
その様子を見て家康は、
「汝の境遇で、只今の申しぶりは殊勝である。」
と言った。
吉英は、豊臣家の旧恩を受けた者であったが、
その過去を忘れていないことは、家康の心に深くとどめられた。
それから家康は俄かに、
「夏目を呼べ。」
と言い出した。
それは、夏目吉信の三子・長右衛門信次のことであったが、
信次は小身ゆえに旗馬印もないので、どこにいるのかも分からず、
使番があちこちを探し回って、なんとか見つけ出すことができた。
この時、家康が、
「昔、汝の父が三方ヶ原でわしに代わって一命をなげうったことは、忠節の至りだ。」
と言葉をかけたので、
信次は、思わぬ賞詞に感激して涙を流した。
このような勝利の時にも、旧功の者のことを思い出して、
言葉をかけたのは、小出が豊臣家の旧恩を忘れていなかったことを賞したことに起因し、
家康の仁厚の深さを感じない者はいなかった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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