一体何を咎めようか☆ | げむおた街道をゆく

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大坂夏の陣で、大坂落城の後、

岩佐右近、赤座内膳等、その他、豊臣家の近臣十人ばかりが上京した。


ここに木下右京の子が、妙心寺海山和尚の會下にある故、

彼等は妙心寺に来て一喝を得、各々姓名を記して検使を乞い、

自殺すべき旨を、幕府の執事の許へ申し遣わした。

 

大御所(家康)は、これを聞かれ、
 

「先年、石田に与し(関ヶ原の結果)浪人と成った者共の中で、

去年以来、大坂城に籠城した者達は、
再犯の罪であるから宥すことは出来ない。

 

しかし最初から大坂に仕えていた諸士にとって、

忠を励むのは臣たるの道であり、一体何を咎めようか。
私が大野(治長)・渡辺(糺)を憎むのは、秀頼に逆謀を勧めた故である。

その他の者達に対しては、聊かも罪とすべき謂れはない。

早々に、どの地であっても退くべし。」

と仰せに成ったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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