関ヶ原合戦から四日後の九月一九日、徳川家康の本隊は大坂へと進軍していた。
そこへ兜を付けず、具足は黒、鹿毛の馬に乗り、
金の才槌の指物を指した武者が向かってきた。
家康本隊の先手衆は、
彼は先発した大名の使番と考え、特に心にも留めずにそのまま通した。
その時の家康は駕籠に乗っていたが、
二〇間(約36m)先に金の才槌がキラリと光るのを見て、
「あの指物の持ち主を改めよ。」
と命じ、改めると、その武者が落人であることが判明し、その場で打ち捨てられた。
おそらく家康は東軍全ての使番の指物を把握していたのであろう。
家康の記憶力はこれまで何度も話題に登ったがこれも一つの例と言える。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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