前田利長の言上☆ | げむおた街道をゆく

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関が原の合戦が終わってしばらくした頃、

前田利長家中において、信長の時代より活躍した長老というべき人々、

高山右近、長九郎左衛門、山崎長門守、内藤徳庵の四人が雑談をしていた。
この時、こんな話題が出た。

家康公が、関ヶ原で勝利され大坂に戻ってきたとき、

前田利長様は、家康公にこう申し上げた。

「秀頼公は、大坂から遠国へと移し、大坂城は、家康公が接収なさるべきです。」

この言葉に、家康公は、直ぐにこう察せられた。
『なるほど。これは肥前守(利長)と仲の良い大名たちが内々に談合し、
私が秀頼公をどのように処遇するか、それを聴こうとしているのだな。』

そして、こう答えた。
「今回のことはすべて治部少輔の仕業であり、

ご幼少である秀頼公には、何の関係もないことです。
それ故に秀頼公には、このまま、別状なく今まで通りに大坂城にあって頂きましょう。」

後で分かったことだが、利長様の問いは家康公が察せられたとおり、

大名衆が談合して、
家康公の口ぶりを見たいがために行ったことであったそうだ。

それらをとっさに悟った家康公は分別が厚く、

大くくりに時節をご覧になることが実に上手な人である。
彼らはこのように感嘆した、とのことである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ どうする家康・異聞、目次

 

 

 

 

 

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