関ヶ原合戦に勝利した東軍は、翌日から直ぐ様、
石田三成の居城である佐和山城を攻めるため行軍を始めた。
その時のお話。
17日になっても街道は多数の軍勢、
そしてそれを支える小荷駄の駄馬によって大渋滞をしていた。
相当、苛立っていたであろう家康は、ある小荷駄に目を向けた。
それは小荷駄を載せた馬三十疋、野陣小屋道具を載せた馬三疋で、
家康は誰の小荷駄かと聞いたが、小荷駄の者は恐れて告げなかったが、
側衆が阿部左馬介(31歳)と告げると、
「今時の若い者は、この程度の陣でこんなにも陣道具を持ち歩くとは腹立たしい。
昔の者ならこんなことは無かった。」
と大そう腹を立てていると、
今度はそれ以上の小荷駄馬に、小屋道具付の馬十三疋の行列が通った。
当然の如く、怒り心頭の家康は腹立たしく誰の行列かと尋ねると、
「渡辺忠右衛門(58歳)。」
と変事が返ってくると家康、
「…………。」
何にも言えずにそのままスルー。
同じく老功の水野左近にも特に何も言わず。
これを見た供の者は忍び笑いを禁じえなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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