関ヶ原の戦勝のあと、家康は大津城に立ち寄った。
京極高次が籠城し、関ヶ原の決戦直前に開城した城であった。
ここで、家康のお供をしていた山岡道阿弥は、
「京極殿も良く持ちこたえられましたが、残念ながらあと少しのところで、
御戦勝に間に合いませんでしたな。」
と、申し上げた。
これに家康は、呟くように言った。
「持ちこたえた、…か。
奥平信昌が長篠に籠城した時は、こんな物ではなかったぞ。
長篠城は戸も障子も壁も、
銃弾のため鹿の子斑のように穴だらけになり、土も落ち板も抜けた。
それを城の者たちは、床板や畳を立て、その影に隠れて、
我らが来るまで持ちこたえたものだ。」
長篠城と、この大津城では、寄せ手の攻めようも、守り手の心構えも、大変に違っていた。
そう言うお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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