伏見城落城☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

慶長5年8月10日、

会津・上杉征伐の途中、江戸にあった徳川家康はこの日、非常に機嫌がよく、
午の刻(正午ころ)に、

「鶴を料理しよう。」

と、鍋を持ってきてそれを火にかけ鶴鍋を作った。
 

前には本多中務(忠勝)、某、全阿弥の3人が呼ばれ馳走され、

特に中務は暖炉裏の家康のすぐ近くに座っていた。

この時、どこから到着したのか、いかにも細かく書かれた書状が家康に渡された。
家康はこれを読んで、誰へともなく呟いた。

「伏見城が、落城した。」

そして西の方を見て、はらはらと泣き始めた。
 

本多中務はこれを見て、御前を走り出て、次の間に逃げた。
全阿弥も逃げ、某も逃げた。

その後家康は、

「中務はいるか?」

と思って探した所、殿中からそのまま宿舎の方まで、

退出したということであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ どうする家康・異聞、目次

 

 

 

 

 

ごきげんよう!