慶長5年8月10日、
会津・上杉征伐の途中、江戸にあった徳川家康はこの日、非常に機嫌がよく、
午の刻(正午ころ)に、
「鶴を料理しよう。」
と、鍋を持ってきてそれを火にかけ鶴鍋を作った。
前には本多中務(忠勝)、某、全阿弥の3人が呼ばれ馳走され、
特に中務は暖炉裏の家康のすぐ近くに座っていた。
この時、どこから到着したのか、いかにも細かく書かれた書状が家康に渡された。
家康はこれを読んで、誰へともなく呟いた。
「伏見城が、落城した。」
そして西の方を見て、はらはらと泣き始めた。
本多中務はこれを見て、御前を走り出て、次の間に逃げた。
全阿弥も逃げ、某も逃げた。
その後家康は、
「中務はいるか?」
と思って探した所、殿中からそのまま宿舎の方まで、
退出したということであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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