慶長五年(1600)6月9日、
徳川家康は、上杉征伐のため大坂を出発。
伏見に入ると、本多正信、井伊直政、本多忠勝、榊原康政らを呼び、
秘密会議を開いた。
家康は言う。
「今度の景勝の謀反、あ奴一人で考えたものではあるまい。
四国、九州、そして上方筋の多くの大名が景勝の与党となっておる。
そしてその首魁は、石田三成。
わしが関東に下れば、上方で必ず蜂起が起こるであろう。
それ故にわしは、上方の様子を確認しながら、
会津へはゆっくりと進もうと考えておる。
お前たちもそう心得ておけ。
この事、ゆめゆめ外に漏らすことのないように。」
これを聞いて、本多正信が発言をした。
「そのように石田三成が謀反を起こすと予測されているのなら、
景勝の討伐には、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀秋、
その他、島津、立花、鍋島らを遣わし、上様は大坂に留まってはどうでしょうか?」
誠に、ごもっともである。
だが家康の考えは違った。
「正信、その考えは実に悪いぞ!
あ奴らを遣わせば、かの地で景勝と一味し逆に江戸に攻めてくるわ!
その時になってわしが関東に向かおうとすれば、
石田三成とその与党が蜂起しわしの動きを食い止めるだろう。
そうなったらわしも動くに動けず、江戸城も攻略されてしまう!
関東は、今の我々にとって、「根」に当たる。
わしが関東に下れば、たとえ日本中が敵になろうと防ぎきる自信がある。
その上今回付き従う諸将のうち、年来わしに心を通じている者たちは全て、
この上杉討伐に同道する。
もし大事が起こってもこの者達は、皆味方になるであろう。
そう考えているからこそわしは、自ら討伐に向かうのだ。」
この家康の言葉に皆は、大いに伏したとの事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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