豊臣秀吉の関東仕置きの結果、北条氏は改易。
その後の関東には、徳川家康が、新しい領主として東海から移動する事となった。
新領主である家康は、領地の巡検も兼ねた鷹狩を好んで行っていたが、
ある時、狩場の近くに、
「太平山龍淵寺」
と号する寺院があると聞き、そこに立ち寄る事にした。
「太平山という山号が、縁起が良い。」
という理由での気まぐれだと言うが、
この龍淵寺は関東仕置きで唯一つ、
最後まで落城しなかった忍城の城主・成田氏の菩提寺である。
成田氏の旧領を視察しておきたい、というのが家康の本音であったのだろう。
一説には最盛期には三十万石を領したとも言われる成田氏の菩提寺であり、
その庇護を受けていた為、かつては非常に栄えた寺院だったのだが、
庇護者である成田氏が武蔵国から去った後は威勢は衰え、
龍淵寺は困窮に苦しんでいるのが現状であった。
そんな龍淵寺を訪れた家康は住職である呑雪と対面する。
が、この呑雪という僧侶、何やら見覚えがある。
確かに以前、どこかで顔を合わせているハズだ。
「もしかして種松? お主、種松ではないのか!?」
記憶を掘り返して思い至った顔は、
家康が未だ今川家の人質として駿河に居た時代のものだった。
駿河のある寺院で家康と共に、読み書きを習っていた少年、種松だったのだ。
「これは奇なる縁も、あったものだ!」
再会を喜んだ家康は、窮状に晒されている旧友を知り、
龍淵寺に莫大な寄進を与えようと申し出る。
しかし、呑雪は、
「出家に財産など無用。
謀反人として処罰された方の菩提寺を手厚く保護されたのでは、
徳川様にも迷惑がかかるでしょう。」
と言って、申し出を断る。
寄進を「あげる」「いらない」という押問答の末、
「喰うものにも困るようでは、修行や勉学にも支障が出るだろう。
最低限の寄進くらいは受け取ってくれ。」
と、百石の土地を龍淵寺に漸く受け取らせたのは、
翌年になってからの事だった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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