徳川家康が江戸に移った後、
鷹狩をしていた時、後北条氏の頃より江戸に住んでいた処士が路の傍らに進み出て、
自分の意見を書いた申文を捧げた。
家康は申文を見ても何も言わず、
処士は御前を憚らなかったために、
石出帯刀の屋敷に拘束された。
それから日数を経て、
「あいつはどうした。」
と処士のことを尋ね、まだ拘束していることが分かると家康は、
「刑法を犯したわけでもないし長く投獄しておくのは不憫だ。
早く出してやれ。
奴はわが治法の北条の時と違って良からぬところを数ヶ条書き連ねていたが、
ひとつとして使えるものがなかったゆえ、申文も捨て置いた。
何ぞ一条でも使えるものがあれば誉めてやろうと思ったのにな。
たいしたことは書いてなかったわ。」
と言って微笑んだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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