小田原攻めのころ、関東では大軍の長陣によるものか、
米価が高騰し、諸大名はその対応に頭を悩ませた。
徳川家でも困り果てた家臣たちが主君にこの件について相談したが、家康は言う。
「どれだけ高くとも良い。周辺で米を買え。」
「それでは大損になりますが?」
「かまわん、どんどん買い取るのだ。」
家康の言う通りにしたところ、
「小田原では米が高く売れる。」
という評判があちこちに流れ、
諸国から商人が米を売りに来るようになった。
すると、急に米価は下がり安定した。
それから少しして、家康が荷駄奉行の伊奈忠次を呼んで指示を与えた時、
忠次がこんな事を言い出した。
「昨年から有事に備えて兵糧を買い集め、沼津に運んでおきました。
ところが今、関東に来てみれば、こちらの米価も、江尻や沼津の米価も、
そう変わりがありません。これでは運送費の分、こちらで買った方が得でした。
なぜこんな事になったのでしょう?合点が行かぬことでございます。」
家康は、苦い顔をして答えた。
「それは、長束大蔵大輔(正家)の仕掛けた事だ。あの男は、さしたる武功も無いが、
こういう計略に抜群の才を持つので、関白から要地に一城をも与えられているのだ。
それよりわしは、お前の職分で今ごろそんな事に気づいている方が、合点が行かぬわい。」
忠次は冷や汗を流しながら、主君の前を退出したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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