豊臣秀吉の死後、徳川家康の伏見屋敷では、晩の七つ時分(深夜3時ころ)になると、
ぴたりと門外より屋敷内を覗いて走り去る者が多くあった。
下々は、
「いかなることか、晩に及んで、敵が寄せて来るのでは無いだろうか?」
などと疑った。
この事は、そのまま村越茂助より徳川家康に報告されたが、
家康は、
「門を開けたままにしておけ。」
と命じた。
その上で、
「夜間の警備に当たる者達の所へ、これを持って参れ。」
と、火鉢二つを出し、茂助がこれを承った。
いずれも寒気防ぎの為であると思っていたが、実はそうではなく、
火縄の火を急につけるのに、
蝋燭などでは、なかなか付かないものだという、家康の考えであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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