上杉景勝、上杉景虎の、御館の乱において、
武田勝頼が景勝側に買収されたことにより。
天正五年(1577)に、北条氏政の妹が勝頼に嫁いで以来の相甲同盟は決裂。
天正七年(1579)、北条氏政と武田勝頼は、駿河の黄瀬川で戦端を開く。
この時、北条氏政は浜松の徳川家康に、武田勝頼を挟撃する事を提案。
家康もこれに応じ浜松より出陣する。
が、武田勝頼は、この動きを察知、
「家康は未だ我らがこれを知ったことに気づいておるまい!
今油断をしているところを突けば、
今度こそ家康を討ち取ることが出来る!」
勝頼は2千ほどの旗本だけを率い、家康の急襲に向かった!
さてその徳川軍。
阿部川を越えたあたりで日が暮れたが、そこで陣中に、上へ下への大騒動が起こった。
牧野康成が諸陣を馬で乗り周り、
「敵に未だ近づいてもいないのに立ち騒ぐのは、
臆病にもほどが有るぞ!」
と叫んで回ったが、騒ぎは未だ収まらない。
そこで大久保忠世が本陣に提灯を立て、
「唯今にも敵がくれば、御一戦なさるるとの儀である!御本陣の方を見てみよ!」
と、ふれ回り、これによって騒動は静まった。
そして、忠世が本陣に帰ってから家康に報告するには、
「この度の騒動、ただ枳(カラタチ)の木のためだったようです。」
「カラタチ?」
「は。カラタチを『から立ち』、すなわち『ここから立ち帰る』、御帰国なされると聞き間違えたものが出て、そのため騒ぎになったのです。」
「そうか、なら軍勢を引き上げろ。」
「は?」
家康これを聞いて嫌な予感でもしたのか、即時に陣払いを決断し遠江に帰国した。
このため勝頼は家康の捕捉に失敗。
勝頼は、
「わしは攻めかかるべきでは無かった長篠では攻めかかり、
攻めかけるべきであったここでは、大敵を逃してしまった!」
と、涙を流して悔しがったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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