武田信玄死す。
この報を知った徳川家康は次のように言った。
「惜しい武将が亡くなった。
信玄のごとき弓矢の道に優れる大将は古今東西、そうそういるものではない。
私は若年の時分より武田信玄のような武将になりたいと理想に思ってきた。
つまり信玄は私に弓矢の道を教えた師のような存在というわけだ。
私は本気でそう思っておる。
だからお前たち家臣もそのつもりでいてほしい。
武士ならば、例え敵であろうと立派な武将の死を悼むべきである。
隣国に強大な敵がいれば、我々は自然と武道に励み、
政治も慎重になって失敗も少なくなる。
したがって信玄という存在が我々を緊張させ、徳川長久の基ともなったといえる。
隣国に強敵がいなければ、弓矢の道に疎くなって次第に弱体化してしまうであろう。
信玄のごとき敵の死は決して喜ぶことではないのだ。」
家康は信玄に徹底的に負かされたばかりだったが、
信玄の死を残念がった。
家臣たちは家康の言葉に従い、皆が信玄の死を惜しんだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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