三方ヶ原の戦いで、武田信玄率いる甲州軍に大敗を喫した、徳川・織田連合軍。
この戦いで例の味噌の件や茶屋の婆に食い逃げ犯扱いされた上に追われて、
銭の徴収を受けるなどの様々な屈辱的逸話を残した徳川家康であるが、
合戦後10日ほどして年が明け、先日戦ったばかりの武田信玄から、
家康宛てに門松と一首の句が届けられた。
句の内容は、
まつかれて たけたぐひなき あしたかな
(松枯れて 竹類いなき 明日かな)
という挑発のお手紙と贈り物であった。
これを聞いた家康の家臣の反応は憤る者、不安に駆られる者、
先日の復讐を誓う者など様々であったという。
そんな家臣達の様子を見た家康は慌てることなく周囲の者に筆を持って来させると、
信玄の句に濁点を付けたし書き直した。
まつかれで たけだくびなき あしたかな
(松枯れで 武田首なき 明日かな)
という変句であった。
家康が、この句を詠むと、家臣達は歓声を上げ、
先日の敗戦への復讐を心新たに誓ったという。
それを見た家康は、
信玄が贈った門松を信玄の首に見立てて斜めに切り落とさせると、
先に詠んだ句と併せて信玄に贈り返したという。
これ以後、浜松や家康に縁のある地域では、門松の竹を寸胴ではなく、
斜めに切るようになったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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