元亀二年(1571)、武田信玄は徳川家康を、吉田城に追い詰めた。
このとき武田家の一騎は勇敢にも城門まで迫り、
応戦に出てきた徳川方の剛の者を討ち取った。
この様子を楼門の上から見ていた家康は、彼に声をかけた。
「お主の名はなんと申す!?」
敵将に名を聞かれた、これはこの時代、大変な名誉である。
彼は胸を張って答えた。
「山県同心、広瀬郷左衛門でござる!」
時は流れる。
天正十年(1582)、武田が滅び、信長もまた滅び、甲州入りを果たした家康は、
郷左衛門を探し、呼び出した。
「久しぶりだな、広瀬郷左衛門。武田への忠誠は、尽くしすぎるほど尽くしたであろう。
今度は、わしに仕えてはくれぬか?」
郷左衛門は、家康が10年以上も自分の事を覚えていてくれた事に感激した。
「この力、及ぶ限り。」
広瀬郷左衛門。
この後、井伊直政付きとなり、早川幸豊ら甲州武士とともに、赤備えを作り上げる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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