五月菖蒲切り☆ | げむおた街道をゆく

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徳川家康公12歳、竹千代殿と申し奉る時、

中間の肩に御乗りになって、

五月菖蒲切り(端午の節句に行うチャンバラごっこ)を見物に御出になられた。

 

一方に人3百ばかり、もう一方には150程なり。

見物の人々はこれを見て、「人の少ない方が必ず負ける」と、

大勢の方へ立ち寄らない者はいなかった。
 

そのうちに、竹千代殿を肩に乗せ奉る中間も大勢の方へ立ち寄ろうとした。

その時に竹千代殿が仰せられたことには、
「どうして我を皆人の行く方へ連れて行くのだ。

今叩き合うならば必ず人の少ない方が勝つぞ。

あれほど少ない者どもが多勢を軽く思って出張っているのは、

よくよく多勢の方を弱く思ったからだ。

または両方が打ち合う時に、多勢で少ない方を助けようと思うこともあろう。

いざ少ない方へ行って見物せん!」
と宣った。

 

御供の者どもは腹を立てて、「知らぬことを宣うな!」と言い、

無理に大勢の方に留まった。

すると案の如く、打ち合う時に少ない方の後ろから、

大勢が駆け付けて新手を入れ替え相手を打てば、
初め大勢いた方は打ち負けて、散り散りに逃げ乱れた。

見物の者も我先にと退きふためいた。

 

竹千代殿は見給いて「言わぬことか!」と宣い、

肩に乗せ奉る中間の頭を御手で叩いて御笑いになられた。

『虎生まれて三日にして牛を食うの機あり(大人物は幼少から常人とは違う)』という。

この竹千代殿は今家康と名を呼ばれて“海道一の弓取り”なり。

「命長くいらっしゃれば、これぞ後には天下の主ともなられよう。」と、

心ある人は言い合ったのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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ごきげんよう!