天文22年、本多忠高の妻は、息子・鍋之助とともに駿府の町外れを歩いていた。
今川家の人質となっている主君・竹千代のもとへ書状を届けるため、
三河からはるばるやって来たのだ。
しかし、不慣れな土地柄のため道に迷ってしまった。
さらに、もとよりの困窮のため、もうまる2日ほど何も食べていない。
服もボロボロになり、行き倒れ寸前の状態であった。
途方にくれていると、11歳ほどの武家の少年が、そばを通りかかった。
少年に道を尋ねると、少年は快く道案内を引き受けてくれた。
さらに、疲労と空腹で歩けなくなった息子の鍋之助をおぶってくれて、
少年の持っていた焼き飯も分け与えてくれた。
「なんとお優しい方なんだろう。
あのようなお方が今川家におられるなら、
わが君も、さほど不自由をされていないに違いない。」
忠高の妻は、そう思い、感謝の言葉を述べた後、少年と別れた。
目的地である智源院に到着した2人は、竹千代に謁見するため身なりを整え、
竹千代の登場を待った。
しばし遅れて、竹千代が現れた。
忠高の妻は、わが主君を見上げてハッとした。
なんと、先ほどの少年ではないか!
竹千代、
「本多の後家か、遠路はるばるご苦労であった。
わしがいたらぬゆえ、そちたちには苦労をかける。
すまぬ。」
忠高の妻、
「・・・。」
竹千代、
「叔母上から書状と帷子を届けてくれたのか。
よし、この帷子は、その子が着るがよい。
どれ、わしが着せてやろう。」
忠高の妻、
「も、もったいのうござりまする。」
忠高の妻は、号泣し、口上は声にならなかったという。
徳川家康11歳、本多忠勝3歳のころのお話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!