天文20年。
鳥居忠吉は、13歳になる息子・鶴之助(鳥居元忠)を連れて駿府に赴き、
息子を10歳の竹千代(徳川家康)に近侍させた。
そんなある日、忠吉と元忠が共に家康の前にでた。
家康は百舌を鷹のように腕に据えて遊んでおり、
元忠を見ると、
「その方もやってみよ。」
と百舌の据え方を教えた。
が、慣れない元忠がなかなかうまく据えることができないでいた為、
家康は、
「その据えようが悪い。」
と言って、元忠を縁側から突き落とした。
それを見た近習たちが、
「そのような手荒なまねはなりませぬ。」
と諌めると、忠吉はこれを抑え、
「それがし、年頃竹千代君を養育したてまつり、
朝夕、忠吉々々とお慕いいただいておりますが、
その忠吉の子を、
世の常の人ならば少しは遠慮ということもあるべきところを思うがままにお叱りになるのは、
これこそ天然自然に身に備わった大将のご器量というもの。
将来は大功たてられる御身なれば、
何事も気宇壮大にならせられるよう補佐し奉る事が肝要でござる。
こんな小事をとやかくお諌め申し上げるには及び申さぬ。
末頼もしき御生まれ立ちなれば、どなた様も忠勤を励み、
ご幼少なりとも、仮初めにも卒爾な事があってはなりませぬ。」
と近習達を諌めたので、人々は皆これに感じ入ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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