家康公は、天文十一年壬寅十二月二十二日(通説では二十六日で壬寅の日)、
三河国岡崎の城にて御誕生された。
胎内に十二ヶ月いらっしゃったという。
家康公と御母君が離別されたのち、
御母君は小川の同心久松佐渡守(久松俊勝)に再嫁され、三男二女をもうけられた。
家康公には一生一腹(同父かつ同母?)の男子の兄弟がなかったので、
みな松平の姓を賜って弟となり、敵味方の人質証人として、
実の兄弟と変わらぬ憐れみようであったという。
なお家康自身が書いた願文では、
天文十二年生まれとして年齢を数えているので、
実際は寅年ではなく卯年だったのかもしれません。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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