天正十七年(1589)、上杉景勝による佐渡攻めの時のこと。
景勝公は六月十日、佐渡国沢根の湊に御着岸され、
先衆の構築していた陣城に御旗を立てられた。
直江、泉澤、島津、小倉喜八郎、そして景勝公が御渡海と聞いて、
吉井城の城主はその前からの先陣からの攻撃にさえ手こずっていたためこれを恐れ、
早々に城を開いて羽持へ逃げていった。
十一日、十二日は御休息。
十三、十四の両日、河原田佐渡守をはじめ、北佐渡衆は景勝公に御礼を申し上げた。
十六日、南佐渡を御退治あるべしと決定された。
そのような所に、越国御留守大将である甘糟近江守(景持)より、奇異の注進があった。
去る十三日暮れ方、毘沙門が夥しく鳴動した後、
五尺(約150センチ)廻りほどの光る物体が、一つ飛び出た。
その跡から大小五、六千の光る物が列をなして続き、佐渡の方へ飛んでいった。
これは越国の諸人が、確かに見たものである。
「これは定めて、謙信公が遺言の如く、弓箭の神と成り給い、
光を輝かせ加護されること明瞭である。
今度の戦は全く御勝利疑いなし。」
そう、下民に至るまで喜悦謳歌したという。
この事は広く申し上げられた故に、敵味方ともに知らぬ者は無かった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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