甲州の穴山梅雪が、越後の上杉謙信に対して、越後北の庄龍峰寺まで、
空庵という僧を指し寄こした。
彼はこのようなことを伝えた。
「いささか故あって、武田信玄は近来、総領の太郎義信を押し下し、
庶子である伊奈四郎(勝頼)を後継として立てようとしています。
そのいざこざが猶も止まず、内戦に至らんとする機が既に顕れています。
そういう事であるので、謙信公が義信を養子としてお取り立てに成って頂ければ、
梅雪が彼を連れて越後へ罷り越します。
信玄の家中にも四、五名が義信を支持しております。
ですので更科より侵入されれば、信州は大方、謙信公のお手に入るでしょう。
これによって多年の御願望である、
村上義清を本領に帰還させる計策も成すことが出来るでしょう。」
この口上を聞いた謙信公の近習である諸角喜介、本郷八左衛門は、
次の間に控えていた先手七組の諸老に相談した。
七組の衆は、
「これは大吉の事である。甲州を謀る術の便りなのだから、
早々に謙信公へ御披露すべきである。」
との意見であったので、諸角、本郷両人は謙信公の御前に罷り出て委細報告した。
謙信公はこれを聞くと、
「その僧をここに召し出すように。直答するべし。」
との仰せであったので、
それに従い間もなく空庵は御前に参り謁見した。
謙信公は空庵にこのように言った。
「御坊、よく聞いて梅雪に伝えるように。
義信の使いを以て信州を取れとの義、この謙信には合点できぬ。
どうしてもそれが必要なら、私は人手を借りることはない。
義信はまだ若いので仕方がないが、
梅雪は何故に、これほどうつけたる言葉を出すのか。
身を寄せる所がないからそのような事を頼み入るという話であれば、
この謙信としては何とも慮外であると言わざるを得ない。
御坊、その黒衣に免じて、今回は無事に帰す。すぐに立ち去れ。」
そう、きつと白眼で睨むと、空庵は色を失って走り去った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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