天正2年、上杉謙信は関東に出兵した。
北条軍に攻められていた羽生城を救援するべく向かったが、
利根川が増水しており、足止めをくらっていた。
せめて物資だけでも羽生城に運び入れようと、家臣佐藤筑前の言を受け入れ、
船を30艘用意した。
この作戦に先立ち、謙信は筑前に、
「北条軍の攻撃を受けたらどうするんだ。」
と聞いたが、
筑前が、
「ここは敵が攻撃してくるような地形ではない。」
と断言していた。
しかしこの作戦は北条軍の攻撃によって失敗してしまった。
後日、謙信は羽生城の守将に対して事の顛末を記した書状(現存)を送り、
その中で「佐藤ばかものに候」と書いている。
なお、その書状の中では、
「信玄や氏康でもよくわからない地形では失敗しただろうから、
自分が失敗したことも仕方ないことだ。」
と自らをフォローしている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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