佐藤、馬鹿者に候☆ | げむおた街道をゆく

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天正2年、上杉謙信は関東に出兵した。

北条軍に攻められていた羽生城を救援するべく向かったが、

利根川が増水しており、足止めをくらっていた。
せめて物資だけでも羽生城に運び入れようと、家臣佐藤筑前の言を受け入れ、

船を30艘用意した。
 

この作戦に先立ち、謙信は筑前に、

「北条軍の攻撃を受けたらどうするんだ。」

と聞いたが、
 

筑前が、

「ここは敵が攻撃してくるような地形ではない。」

と断言していた。
 

しかしこの作戦は北条軍の攻撃によって失敗してしまった。

後日、謙信は羽生城の守将に対して事の顛末を記した書状(現存)を送り、

その中で「佐藤ばかものに候」と書いている。
 

なお、その書状の中では、

「信玄や氏康でもよくわからない地形では失敗しただろうから、

自分が失敗したことも仕方ないことだ。」

と自らをフォローしている。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 越後の龍・上杉謙信、目次

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう!