伝わることによると、昔上杉謙信と織田信長が、越前府中において合戦あるという時、
越後の諸将は謙信をこう諌めた。
「信長は大身故に、
軍勢は味方の5倍有ります(この時謙信は僅かに6千、信長は3万であった)、
平場で戦うのはいかがかと思います。
殊に敵は鉄砲数千挺を装備し、味方は僅かです。
君は長篠の合戦の事をお聞きになっていないのでしょうか?
織田家は鉄砲三千挺を以って武田の堅陣を破り、
勝頼は譜代の臣を失い、信玄以来経験したことのない敗北をいたしました。
よくよくご思慮を巡らせるべきです。」
しかし謙信はカラカラと笑い、
「長篠の合戦は徳川勢の働きが優れていたこその勝利であったのだ。
信長は信玄の一代は武田家へ向かって、顔を出すことも出来なかった。
勝頼の代に至って、織田徳川の両家を以って若き勝頼に、
しかも鉄砲ずくめにて勝ったからといって、それは実の勝利ではない。
あのような戦いで勝頼は利を失ったとしても、この謙信は巧者であるぞ。
見ておけ、一戦に織田勢を蹴散らし、上方において毛雪踏を履いている公家侍どもに、
輝虎の武勇を見せてやろう。」
謙信の陣に潜んでいた織田家の細作はこれを聞くや走り帰り、この事を報告した。
すると信長はどう思ったのか、その夜の内に府中の陣を引き払い十余里後退した。
謙信は翌日押し寄せて敵が引いたのを見るや、打ち笑って、
「さてさて逃げ足の早い巧者である。その仕方はこれが織田軍法と言うべきか。」
そう大いに嘲笑した。
上杉謙信の武勇は天下の許す所であったが、この一言によって敵を退かせたというのも、
また奇なる事であろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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