新発田尾張守長敦の弟である新発田因幡守治時(重家?)は剛強第一の兵にして、
多くの武功をあげた。
謙信が小田原城を攻めた時のこと、明日ここを引き払うとしてそのための備えを示した。
するとまだ十六歳だった因幡守はこれを見て、
「この備えはよろしくない。」
言った。
謙信はことのほか不快に思い、散々に叱り飛ばした。
しかし因幡守は少しも屈せず、
「であれば私にお暇をくだされ。そうしたら小田原に入り、
北条氏康に兵を借りて越後勢を追撃しましょう。
この備えであれば打ち勝つことができ、
酒匂川の辺りでお屋形様を打ち取れるでしょう。」
と言った。
すると謙信は機嫌が直り、因幡守の言うとおりに備えを直した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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