新田金山城主である由良成繁は、越後の上杉輝虎(謙信)に従っていたが、
永禄八年(1565)に、輝虎の旗下から離脱した。
そのため翌永禄九年三月、上杉輝虎は越山して上州厩橋に着陣するや、
直ちに金山城を攻めた。
しかし10日余り攻め続けても、要害堅固なこの城を落とすことは、
出来なかった。
諦めた輝虎は、今度は桐生の城に押し寄せたが、ところがこれもまた堅固で、
損害ばかり大きく、いつまでも落ちそうにないので、
これも諦め陣を払って厩橋に帰陣した。
そして輝虎は、北条丹後守長国に高崎城を攻めさせた。
しかし、この城も城主和田兵衛太夫、弟の松山兵部丞が共に精力を尽くして防ぎ戦ったので、
雌雄を決する事が出来ないでいた。
そこに越後から早馬が来て本国の急を告げたため、輝虎が越後に引き上げると言うので、
北条長国も兵を退いて厩橋へと退去した。
何をやっても上手くいかないという時も、あるものなのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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