上杉謙信が、小姓より引き立てた侍の内、河田豊前守長親という人物は、
元近江国守山の、地侍の子であった。
永禄四年三月、謙信は上洛し将軍・足利義輝に謁見したが、
この時、清水において、この河田が、当時14歳であったが、
これを召し連れ、越後に帰国し、知行を与えた。
これは男色の寵が類無かった故である。
ある時、謙信は河田を叱責し、刀を抜いて今にも成敗せんとしたが、
河田はその場を退かなかった。
謙信は、刀をおさめて言った。
「私が河田をこれ程秘蔵に思っているのに、これを成敗すると言い出せば、
『私が身代わりに成ります!』
と言って出て来る者があるべきなのに、
誠の忠臣と言うものは居ないものだ。」
そこに一人出て、
「某を誅されよ!」
と、頸を差し出して出た。
謙信は、これを赦免したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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