ある時、上杉謙信が、石坂検校という琵琶法師を招いて平家物語を語らせた。
すると、源頼政の鵺の段になってしきりに涙を落とされた。
傍らの者たちは不審に思い、その理由を聞くと、
謙信は憮然としてこんな事を語った。
「私は今、検校の琵琶を聞いて、いまさらのように武道の衰退を感じた。
かつて八幡太郎義家は、
禁中に妖怪が出たのを『鎮守府将軍源義家である!』と名乗って、
弓の弦を鳴らせば、妖怪その姿を消したというのに、
頼政は鵺を射たが、猶死ななかったので猪隼太が刺し殺してとどめを刺した、
と伝えている。
義家が妖怪を払ったのは天仁元年(1108)、
頼政が鵺を射たのは仁平3年(1153)である。
その間わずか46年の差ほどしかないのに、
すでに武道の劣れることこういう有様である。
そこから思うと私は頼政に遅れること450年。
その間に武道はどれだけ衰微したかと思うと、
つい我知らず涙を流したのである。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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