初訪から2ヵ月後、ことでんへの思い断ちがたく、1998.9.12-14にて2度目の訪問となりました。
もう20年も前のことなのですが、つい先日のような気もします。
横浜から相鉄の夜行バス「トリトン号」(※'07年まで運行)に乗って、瀬戸大橋経由(※'01年に
淡路島大橋経由に変更)で高松に向かいました。
高松到着後、間髪入れずに築港よりことでんの電車に乗り込み、長尾線の終点長尾に向かったことが
伺われます。
長尾に並ぶそごう色600形602号と単コロのように佇む1000形100号
1998.9.12 長尾
100号は朝の増結運用に備えて待機中だったもので、やがて600形の先端に増結されます。
602号の前に連結された100号。3両編成で高松築港へ向かう。
今回の訪問での初カットが上の2枚で、未だデジタル普及前の当時、いかにフィルムを大事に使って
いたかが分かります。夜行バスを下り、築港から長尾までことでんの電車に揺られてきているわけで
今なら数十カットは間違いなく撮っているでしょう。
長尾から一つ手前、公文明駅に行ってみます。
単線片側に短いホームがあるだけの至ってシンプルな駅です。
最初に来たのは5000形500
1998.9.12 公文明
続いて1000形100。朝一に長尾で見た増結編成がもう折り返してきた。
公文明駅の築港よりでカメラを構えたのですが、噂に聞いた通り電車博物館そのもの、古典電車
が来るわ来るわ。既に7月に吃驚してはいるものの、首都圏に拠点を置く身としては、未だなお新鮮
な驚きでした。
3000形325
ことでん古典車両のうち、とりわけオリジナルと言われ尊ばれている3形式⇒1000形、2000形、
3000形を短い時間で全て目にすることができました。しかも日常に溶け込んだ、
当たり前の光景でした。
3000形のファーストナンバー300も健在。
1000形130。
駅とは反対側に目を向けると、子供たちが線路を横切り遊びに出かけます。
大きい子を筆頭に、小さい子が従い、最後に一番小さい子が仲間を追いかける展開に。
レールの高さは結構なハードル。
公文明を後に6つの駅を戻る形(当時は未だ学園通り前駅はなかった)で高田で初めて下りました。
駅から長尾よりでカメラを構えます。
750形750と600形601の交換。
1998.9.12 高田
601が高松築港に向けて発車、長尾行750が発車を待つ。
恐らく駅前後の線路配線レイアウトの都合なのでしょう、高田駅は上り(長尾方面)が高松築港に向
かい左側と通常とは逆の線に、上下列車が着発します。
左側下り長尾行き5000形510(こちらに向かって来る)、右側高松築港行き1000形120(遠ざかる)
通常とは上下線逆配列の高田駅。
上の510が長尾で折り返し戻ってきた。築港から折り返してきた601と交換
公文明では高松築港よりの車両が前面でしたが、高田では長尾よりの車両の顔が前面で、古典電車
どうしで全く違った形式の車両が手をつなぎ、2両編成で走っていることが分かります。
この日見れた古典電車同士の組み合わせ
←高松築港 長尾→
325 + 120
130 + 510
100 + 500
朝一長尾で600形の前に増結された100号が、いつの間にか500と組んで走るのですから、
なかなか予測するのが難しい運用です。
高田での撮影を一区切り、4駅戻り木太東口駅に下り立ちました。
ここも交換可能な駅です。
30形36が木太東口に到着、3000形325と交換。
1998.9.12 木太東口
30形36+35 で運用。30形は固定編成なので、上の100号のようなことはない。
木太東口から更に一つ戻り林道に佇みました。
未だ緑濃い稲穂の向こうのホームに325+120が到着
1998.9.12 林道
130+510
朝から一日中長尾線を追いかけ夕方に。最後にもう一度、長尾まで足を伸ばしています。
かなり精力的に動いていたのですね。当時は未だ体力がありました。
刈入の季節、夕刻迫る田畑に沿い1000形130が快走
1998.9.12 長尾‐公文明
ねこじゃらし茂る脇を、100+500編成が通過。少しだけ秋の気配。
高松築港に向けて1000形ファーストナンバー100が長尾駅を発車。
夕日を浴びて哀愁漂う。
1998.9.12 長尾
長尾線を精力的に回った今日はこれでお終い、高松築港行きの電車に揺られ宿に向かいます。
続く