2011年8月29日
仙台で一夜過ごし翌朝、駅へ向かう。
人通りも多く賑やかな仙台
仙石線地下ホームへの入り口
仙石線は205系3100番台の時代
仙石線での205系運用開始は2002年から。
E131系投入の2026年3月まで走り続けた。
クロスシート転換可能な2WAYシート車
に乗る。
震災による津波の被害で高城町から先は
不通。代行バスは松島海岸-矢本で運行。
駅票の次の駅(手樽)は白紙で覆われ、
当駅行止まりとなっている。
駅舎内掲示の時刻表。
JTB時刻表抜粋
手樽-石巻間がグレー塗されている。
津波で東名と野蒜の2駅が最も壊滅的な
打撃を受ける。駅そのものと線路が流失。
この先線路伝いを歩く。
手樽は海岸線からも離れ、若干の高台に
あるため駅の損失はないが、普通が続き
すっかり草に覆われている。
陸前富山駅
陸前富山は海沿いの駅だが、地形に守られ
周辺民家含め津波の影響は少なかったが、
地震で線路は歪み、ホームも崩れていた。
陸前富山~陸前大塚間
津波の影響で路床が崩れ、フェンスが
散らばる。
陸前大塚付近。
津波の被害はないが、地震の揺れで
ポールが傾く。
仙石線で海に最も近い駅、陸前大塚は
不思議にも無傷だった。
積まれているのはホタテの貝殻。
陸前大塚駅停車中の72系アコモ改造車。
撮影は1979年8月。この時は片面ホーム
1線だったが、1988年に1面2線の交換
可能駅となる。
陸前大塚から先、海に沿ってすすむ。
津波の被害はなく路床、線路、架線も
そのままだが、数か月間不通で線路は
錆びついている。
同じ場所、旧型国電の頃。72系が走る。
東名、野蒜が津波で壊滅的な打撃を受けた
一方、海に近い陸前大塚がそのまま残って
いて、地形に守られたとはいえ不思議に
思わざるを得ない。
復旧に当たり両駅は内陸部に移設され、
線路ルートも変わった。
ちょうど上の写真カーブを、新設線路は
直線で海沿いから離れ内陸部を高架で
進むルートに変更される。
開通は2015年6月。
若干の上り傾斜の先の海に面した丘を境に、
線路は大塚地区を離れ東名地区に入る。
丘から陸前大塚方向を望む。
ルート変更され、今は無き旧線。
同じ場所1979年。
津波は南東方向から押し寄せた。
野蒜の平地を直撃し、東名まで流れ込む。
一方の松島、大塚は松島沖の島々(赤線内)
に守られて津波の被害を左程受けなかった。
東名駅を下り方向から見る。
津波の影響で、架線が垂れ下がり、駅票は
流失している。
既に線路は撤去され、柵や駅票も流失して
ホームのみの姿となった東名駅。
震災直後の写真
(旧東名駅跡モニュメントの掲示写真)
東名運河とその向こうの更地。
恐らく運河の写真左側(野蒜水門方向)から
運河を駆け抜ける様に津波が押し寄せたと
推定される。更地の水は未だ引いてなかった。
津波の直撃ではなく、押し寄せた瓦礫により、
一階部分が被災している建物が多い。
代行バス→電車に乗り継ぎ仙台へ向かい
旅を続ける。
震災の影響は逆に人が多くなったことに
現れる、東北の中心都市仙台
仙台から新青森まで「はやて175号」に乗る
E2系ポケモン車が新青森到着
E5系はこの年(2011年)3月デビューして
ばかり。「はやぶさ」3往復(1往復は仙台便)
に充てられていた。
デビューが3月5日なので6日後に震災に
見舞われたことになる。東北新幹線全線
復旧まで運用を見合す。
現在(2026年)盛岡以北は全てE5系で
E2系を見ることは臨時運用でも稀である。
新青森から青森に行き今夜は青森泊
≪続≫












































































































































































