1.面白かった福沢諭吉の自伝
また、以前の投稿では福沢諭吉の著者「学問のすすめ」ついて、現代的な視点では差別的であると述べた。
以上から、福沢諭吉についてはあまりいいイメージを持っておらず、この自伝についても否定的な見地から読み始めたが、、、、
抜群に面白い
日本の歴史上の偉人でこれほどのレベルの自伝はおそらくない。
ある本ではフランクリン自伝と並ぶレベルとあったが、まさにそのとおりだった。
2.慶應義塾大学
鎖国の日本を開いて西洋の文明に導き、富国強兵をもって世界中に遅れを取らないようにする。
これが、慶應義塾大学において目指したことである。
福沢諭吉は幕末の頃、アメリカに行き、ヨーロッパ巡礼をし、またアメリカに行くなど西洋についてかなりの見識を持っている。当時の日本などちっぽけに感じたに違いない。
文明開国の世の中に有り難そうに凶器を腰にしているやつはバカだ、その刀の長いほど大バカであるから、武家の刀はこれを名づけてバカメートルというのがよかろう。
と、塾内で言っていた。
本書の最後では以下のように言っていた。
私の生涯の中にでかしてみたいとおもうところは、
全国男女の気品をしだいしだいに高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること、
仏法にしても耶蘇教にしてもよろしい、これを引き立てて多数の民心をやらわげるようにすること、
大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすること。
高い理想を持っていた事がわかる。
3.学問
学問については若い頃から相当やっている。
あまり学問を勉強すると同時にわが身の行き先ばかり考えているようでは、修業できなかろうと思う。
これが福沢諭吉の学問に対する姿勢である。
立身、金、家、食い物、着物を考えているようでは真の勉強はできない。
※ちなみに、これは論語の孔子と同じ事を言っているが、今度紹介する。
具体的どんな勉強をしたのか。
福沢諭吉は、緒方洪庵の塾(適塾)で学んだ。
オランダ後の翻訳に努めていたが、それに留まらず英語の習得を行った。
幕末のころはオランダ語だけ学べば十分という時代だったのにもかかわらずである。
それが、後の海外渡航に役立ち、その際に貴重な洋書をいっぱい持ち帰ったのは福沢諭吉の功績の一つである。
有名なのでは、
簿記を最初に日本に広めたことである。
福沢諭吉は、西洋の簿記法の書を翻訳して帳合之法という本を発行した。
4.性格
あくまでも私の印象だが、福沢諭吉は
器が小さい
(この時代の偉人達と比べてという意味)
本書の解説でも書いてあったが、福沢諭吉は「独立自尊」の精神を大切にしている。
確かに、本書でも
金を借りない、教えは請わない、指図は受けない、人に流されない、といった話が多く出てくる。
それはわかったが、政府に士官しないのくだりは正直結構くどい。
言い訳がましい。
福沢は幕末の頃に時勢に一切関与せず逃げていた。
そのくせ、幕末に第一線で命をかけて尽力した勝海舟のことなど批難している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%98%A0%E6%88%91%E6%85%A2%E3%81%AE%E8%AA%AC
↑勝海舟が江戸城無血開城をした事などを責める「痩せ我慢の説」を時事新報に掲載した。
あとはこれも、巻末の解説に書いてあるが、福沢が明六社のメンバーであったことや、明治政府高官になった適塾の生徒である大鳥圭介や小栗忠順のことなど、都合の悪い事実は書いていない。
また、時代だから仕方がないとは言え、職業差別が甚だしい。
車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別にして、、、
いやしくも話のできる人間らしい人に対して、無礼な言葉を用いたことはない。
学問のすすめでも差別発言していたが、本書でもやっぱりこのように言っている。
勝海舟はその辺の商人の女将の話でも金言として尊重している。
こう言った人と比較すると、器が小さいと思われても仕方がないのではないだろか。
批判はこれくらいにする笑
福澤のことは好きにはならないが、それは本書の面白さとは別のことである。
5.おわりに〜人生の教訓
当たり前だが、福沢諭吉から学ぶことが多いこともまた事実である。
先述したが、福沢は「独立自尊」の精神を大切にしている。
人の智恵を借りようとも思わず、人の指図を受けようとも思わず、人間万事天運にありと覚悟して、勉めることはあくまでも根気よく勉めて、ソレでも思う事のかなわぬときは、なおそれ以上に進んで哀願はしない。ただ元に立ち戻ってひとり静かに思いとどまるのみ。
前半の人に頼らないくだりはどうかと思うが、後半は印象的である。
さらに、こうも言っている。
すべて事の極端を想像して覚悟を決め、まさかのときに狼狽せぬように後悔せぬようにばかり考えている。失敗しても自信独立の主義に妨げのない限りはさっさとやる。
慶應義塾を開いたときに、「生徒や教員が去っても放っておき、最悪自分一人だけでも生徒を集められるだけの生徒を集めて教授する。それでもダメならしいて教えようとは思わない」と覚悟を決めた。
仕事をするにも、朋友と交わるにも最初から捨て身になってとりかかり、たとい失敗しても苦しからずと、浮世のことを軽くみると同時に一身の独立を重んじ、人間万事、停滞せぬようにと心の養生をして参れば、世に渡るにさまでの困難もなく、安気に今日まで暮らしてきた。
まとめるとこんな感じになる。
最悪を想定して覚悟を決め、それに向かって根気強く取り組む。失敗しても後悔・狼狽しない。
そのくらいの覚悟で取り組めということである。
また、最悪を想定しているからこそ、多少のイレギュラーでも慌てたりしないわけである。
例えば、仕事においても常に失敗して客がブチギレてクレームに発展して上司に怒られ、
おしまい