政治手腕
勝は、大局を見る目を持っていた。
幕府の重役(軍艦奉行)でありながら、徳川幕府の時代は終わりだと考えており、神戸の海軍塾などで薩摩、長州、土佐など雄藩の志士と交流。
ちなみにそのせいで、軍艦奉行をクビにされ、その時に買い上げた土地も没収されている。
特に交渉や外交において非常に優れた能力を発揮。
当時の外交問題といへば、たいていおれが担当したから、おれの姓名は外国人には古くから知られているヨ。
西南戦争の際も岩倉具視から、西郷と話をつけてくるように命じられている。
(しかし、勝はこれを拒否。元凶である大久保や木戸が政府に残っているため)
性格
典型的な江戸っ子。こち亀の両さんみたいな印象を受ける。
おれは江戸っ子だよ。世間の人とはちょうど反対さ。
また、度胸はかなりのものである。
討幕派だけでなく、幕府側からも命を狙われており、20回ほど襲撃されているという。
この胆力が政治にも活きているとのこと。
減らず口もなかなか。
おれが黙っていると、勝の老僕だの死に損ないジジイだのと言って、途方もない悪口雑言をたたく輩が多い世の中だからおれもモー黙っておらぬヨ。
当時の政権の批判も凄く、伊藤博文、伊東巳代治、陸奥宗光など批判。
昔には、全てが真面目で、本気で、そして一生懸命であったヨ。
なかなか今のように、首先ばかりで、知恵の出しくらべするのとは違っていたヨ。
多分、せこせこと小賢しいことをやっているのが嫌いなんだと思う。
西郷を絶賛
理想的な人間
ここまでの小括として、勝がどのような人物を理想とするか考えた。
大局を見る
一個人の百年はちょうど国家の一年くらいに当たるものだ。それゆえに、個人の短い了見であまり国家のことを急ぎ立てるのはよくないヨ。
このような視点は我々、現代の人も大いに見習いたい。現代の日本は悲観論とか多すぎるよ、ホント。
誠心誠意
誤魔化しなどやりかけると、かえって向こうから弱点を見抜かれる。
これは、お約束の伊藤総理や陸奥宗光外相の批判であり、小賢しいことをやるのを戒めている。
交渉などあれこれ作戦を考えていくのではなく、どーんとぶつかることも大切である。
本書の最後でも「処世は誠の一文字」と述べている。
以上、大局、誠心誠意について述べたが、これを支えるのが
胆力を持ち、ドンと構える
なんや感やこれに尽きるのではないかと思う。
これを持ってはじめて、大局を見据えたり、目の前のことでセコセコ小賢しいことをやめることができたりするのではないか。
人情家
江戸っ子だからか、勝は市井の人との関わりを大事にしている。
彼らから学ぶことも多いとし、暇な時は江戸の町を出歩いていた。
政治家として立派ではないか。
また、人材登用についても次のように言っている。
平生小僧視している者の中に、存外傑物があるものだから、上に立つものはよほど公平な考えをもって、人物に注意していないと、国家のため大変な損をすることがある。
さいごに
西郷、大久保、木戸はみんな明治10年前後に死亡しているが、勝は明治32年まで生き、維新後の世界を見届けてきた。
本書の後半は明治30〜31年頃の話が多く出るが、これを念頭においた上で読むと結構泣ける。
西郷というと、キツそうな顔をして居たように書かぬと人が信じないから、ああ書くがね、ごく優しい顔つきだったよ。アハハなど笑ってネ、おとなしい人だったよ。(上野に西郷像ができた後の話)
また、明治31年、徳川慶喜が皇居(かつての江戸城)を訪れ、有栖川家と対面した翌日に勝の家を訪問している。
勝はこの時涙を流して感激したという。
そして、慶喜は勝にこうお願いする。
祖宗の祀りを絶やさないように勉る故、
楽天理と書いてくだされ。
※楽天理は、直訳すると天の理に背かないという意味。漢字の意味と文脈から推測するに、幕府はもう無いが最後の将軍として今の世に合わせつつも、慶喜らしく生きるという決意か。
おれの役目も、もうこれで終わったのだから、明日よりのことは、若い人に頼むよ。
勝はこのように締めくくっている。
幕末の時代を考慮にいれ、この時の二人の心境を考えるとこっちも泣けてくる。
幕末は、激動の時代でありながら、自分の命も顧みず、国民や国家の未来を第一に考えていた人が多い。
勝海舟もその1人である。
公務員は異動でかなり状況が変わるため、この時期はヤキモキしている人が非常に多い。
でも、こういった人の本を読むと、異動をはじめ、仕事の失敗とか悩みなんかも小さいことに思える。
現代の日本では多少やらかしても、江戸が火の海になることもないし、暗殺されないし、戦争になることもない。
ドーンとこいである。
最後に勝の言葉でおしまい。