日本の難民受け入れは 国際的にみても非常に消極的だと言われています。
労働者の受け入れはしても 定住をともなって市民権を与える移民についても
国民感情も含めて 困難がともなっています。
今回の記事では 移民・難民の受け入れのメリットやデメリットを明らかにせず
国民の 移民・難民受け入れに否定的な主な原因である 外国人アレルギーについて
考えてみたいと思います。
突然ですが、 児童ポルノ違反での話題が 新聞やネットなどでも しばしば見受けられます。
私も児童ポルノは無くなるべきだと考えています。
それは 騙されたり 脅されたりして 少年少女の心身が傷ついているからです。
撮影したり 頒布したりするものが 無くなる日が来ることを望んでいます。
一方で 私は ポルノ自体が大好物で 俗物の男として よく観ています。
時々 興味をそそるものがあれば 一年に一度くらい気が向けば ネットで購入したりもします。
その時には、 必ず 18歳以上と確認できていると明示しているものを購入します。
なので 児童ポルノ所持というだけで 捕まる現代社会では
リスクが無いわけではないと思います。
新聞沙汰になる事件の容疑者は 児童ポルノの購入の意思があったと供述していると言いますが、
日本の文化的背景から言えば、 疑似的に 小柄な大人の女性を好むという傾向が
多くの日本男性にはあります。
また ポルノ業界というのは 搾取の場であることが多く
芸術とはかけ離れた 虐待そのものの演出があったりします。
日本のポルノに そういった傾向が強いと言われていますので、
ここ数年は 特に 日本のポルノを観る回数が減りました。
このように書くと
「この変態野郎が」 とか 「児ポ鑑賞で逮捕された人間を擁護するのか」 とか 言われそうです。
その点は 承っておきましょう。
ただ そういったことを感じたあなたは、 いつ社会人になったのでしょう。
仮に 20世紀には 立派な社会人の男性女性だったとしたら
あなた達は、 90年代に どのようにしていたのか。
ほとんどのかつての大人たちは オッサンたちの火遊びを笑いながら黙認し
また、 部下や若者を 強いて誘ったりもしていましたよね。
その人たちが よくもまぁ 現代では 「時代が変わった」とか ほざきながら、
しらばっくれて 観てるだけの漫画家などを 断罪しているわけです。
こういった 時代の変遷というものは 日本の歴史の中でも 幾度もありました。
戦前と戦後などは すぐに思い浮かべることでしょう。
15で嫁に行き と唄にもあるくらいです。
現代では 男女平等ということで おなじ教育の機会や 労働力の確保という点からも
労使双方にとっての社会的な要請で なおさら 男性への女性の解禁といって良いか知りませんが、
高年齢化しています。
90年代と現代では違うわけですが、 その社会的な要請を かつてを生きてきた者に
変更を求めるとき ある意味 かなり強引なやり方、 つまり
警察的規制を 過剰なまでに 求めてくることになっています。
それは事実として ポルノをつくり 配る 者たちだけでなく 所持する者も 処罰するという
規制に コストとリスク 両方をともなうことをしてまで 行うのです。
実は… これと同じ状態が 江戸時代の初めにもありました。
江戸幕府の徳川家康公が 天下を治める以前は 男は 今でいうところの小学生にも
性行為を行ったりしていたようです。
そして時代が江戸時代になり 12歳以下はご法度と言うことになり、
ご法度を犯した者の処罰は 獄門(さらし首)という。
無罪だった行為が いきなりある日を境に 晒し首になる行為になる。
また 現代社会では 法格言に 「法の不知は許されず」 ともあるので
一般の市民と言うものは 生きていく上で 慎重が求められ
こういった 変更があまりに激しいと 世の中が停滞してしまいます。
ここで いったんまとめますと
「時代が変われば行動規範は変わり社会で生き抜くために行動規範を変えざるえない。」
もう一つ
太古の中国は身分社会で 人材の硬直化がすすんでいき
国と国が争う時代になってから 人材をひろく集めようと ある君主が
野盗や今でいう芸人など から 剣豪に弁舌家まで 国の内外から集めたそうです。
その結果 その君主が治める都市は 柄の悪い連中が集まってしまい
歴史家が100年以上たって その都市を訪れた時にも 風紀が 際立って悪かったという話があります。
そういった歴史は どの国でもあると思うのですが、 その結果
地方などは 保守的になる傾向があるのでしょう。
ただ、 犯罪者も人材として受け入れていた時代ならまだしも
こういった 史実は そのまま当てはまらない。
まとめると
「孟嘗君の故事、鶏鳴狗盗は現代日本では即適用されはしないが用心する必要はある」
今回 二つの話をして 導き出そうとしていることは
社会が求める行動規範はしばしば変わり、 もともといる人間も 行動規範を変える必要があることと
規範を破るリスクを持っていること。
それは 外国人と同様であり、 (ある意味 外国人は時代の異なるものと とらえても差し支えない)
日本人も外国人も その点から 同じように矯正していく必要のある同じ人間で
アレルギーの主な原因は 取り除くことができるということ。
また 受け入れるにあたって 犯罪者が来たら困るという心配事は 的を得ているが、
正確には 条件として 誤謬が発生しているのではないかということ。