あなたの会社には 監査役会というものはあるだろうか。

 

監査役が三人以上集まって構成してはいるが、 その監査役は

 

合議制のなかの一員ではなく 監査役会の監査役は独任制である。

 

独任制とは 説明すると 自分自身の意思で 物事に責任をもって取り組むと言ったらわかりやすいだろう。

 

日本の民主制の中には 独任制の機関というのは 他にもあって

 

たとえば地方自治における 監査委員や

 

裁判所の裁判官も 独任制と言えるだろう。

 

こうして考えると 権限を持つ者たちを 監視し 監督し 審判を下す者は

 

たいてい独任制が採用されていることが お分かりだと思う。

 

さて 民主主義社会で もっとも その監視 監督 審判 という判断を行わなくてはならない者は

 

誰か お察ししていただけるだろうか。

 

それは まぎれもなく 市民一人一人である。

 

民主主義社会での 市民とは 独任制機関である。

 

と言えるだろう。

 

政治活動で みんなの意見をまとめて上申するときに それは違うと思うが

 

みんなが言うなら 運動に協力しなくてはならないということだと、

 

市民としての権利行使に 瑕疵(傷があり) 欠缺(損なわれている) 状態であると言える。

 

このことは 市民とは 平民ではなく サムライであるべきであって

 

義務教育が施されるようになった近代の背景には そういうサムライを国民全員に

 

素養を与えるためだと思われる。

 

しかし そういった成り立ちで 四民平等になったのではない 過去があるが

 

日本は大正時代から次第に すべての日本人がサムライたるべきという国民全体の総意と

 

挫折 そして 外部からの支援を経て 今があるので

 

この民主社会を大切にしなくてはならない。

 

たぶん日本人は 平和ボケしてしまって 独任制としての判断すべきところも

 

責任を逃れるため または 無知のため または 勘違いやだまされたうえで

 

すべて 合議制こそが 民主主義と勘違いしているふしがある。

 

 

さて

 

ここからは 市民としての素養として オマケの話をしたい。

 

私はもう あわせて20年近く お金のやり取りをともなう仕事をしている。

 

よく商売で金銭のやり取りをしていると 心理留保という(冗談で受け取ってくれという)ことが

 

あるのだが、

 

これは受け手が 冗談とは知らず 本気にするには無理がある場合以外は

 

法律的には 受け手が受け取ってしまっても問題はない。

 

たしかに 与えるほうは そういう状態を作らざるを得ないなどの事情があったり過失がなければ

 

同情の余地があり 自然と帳尻があうような 結果になる。

 

ただ経験上 ご自身で 帳尻を合わせよとしたり 逆恨みとしか言いようのない仕打ちを

 

受け手に行うと 与えた側は バチが当たる。

 

また 受け手も わざとだったり 過失があると バチが当たる。

 

不思議なものだが、 こういった仕組みを知ることも 市民(サムライ)となる素養だろう。