私は「霊性」と「愛」は同じだと思っています。

「愛する」というのは、恋愛などで「好き」になったり「嫌い」になったりするのとは違います。

 

好きと嫌いというのは、同じシーソーの両端にあります。

ですから好きになってる時はシーソーが重くなってる時であり、この時はシーソーの反対側にある嫌いという気持ちは軽いです。

しかし何かの拍子に嫌いが重くなる時があります。

この時にはシーソーの反対側にある好きは軽くなっている訳です。

ですから好きとか嫌いとか言っているうちは、本当の愛には未だ目覚めていないということです。

 

これは他人(ひと)ごとだとよく分かりませんから、自分のことを考えてみれば1番わかりやすいと思います。

自分のことを好きとか嫌いとかではなく、愛しているかです。

この自分を愛するというのは「愛」の出発点だからです。

 

愛というのは、シーソーで言えば板が上下しないで真っ平らで均衡が保たれた状態です。

好き嫌いのようにシーソーが上下することはありません。

もし感情が上下するようならば、それは愛ではありません。

愛とは不動のものだからです。

 

自分を愛するというのは文字通り、自分のことを慈(いつく)しんで大切にする、ということです。

なぜまず自分かと言いますと、自分のことが愛せなければ他人を愛することが難しいからです。

 

愛とは、認めて、赦して、受け入れる ことです。

そして見返りを求めずにただ与えることです。

 

ここで大事なのは、自分という人間は一体何のために生まれてきたのか、ということです。

答えは「霊性を向上させるため」つまり「愛を大きく、深くしていくこと」なのですが、何故そうなのかと言いますと、それが「幸せ」とか「幸福」に結びつくものだからです。

 

では、自分を愛するとは具体的にどういうことをすれば良いのでしょうか。

 

それは肉体を超越して自分という霊魂を愛することだと思います。

何故ならば「人間の本質は肉体を着ている霊魂だから」です。

(霊と魂のことは下記をご参照ください)

 

 

霊性といいますのは、霊の完全性を自分という魂がどれだけ表現出来ているか、というバロメーター(物差し)のことです。

霊性とは愛のことですし、愛とは霊性のことです。

つまり自分を愛するということは、自分という魂が霊の完全性を出来るだけ現してあげるという意識が向上するように自分の意志を働かせてあげることなのです。

そのために人間には自由意志というものが付与されています。

 

このように意識と意志は切磋琢磨しながらお互いに相乗しながら向上していくのです。

まず、自分には魂という意識と意志がある、ということに気づくことが大事だと思います。

 

人間の三大悪癖というのがあります。

これは私がそう思っているのですが、まずは自分の中からこの三つを無くしていくことです。

 

それは以下の三つです。

①怒る自分

②愚痴・悪口を言う、思う自分

③正直ではない(うそ、ごまかし、かくしごとをすること)自分

 

 

 

愛を大きく深くしていきたければ、まずは上記の三つを自分の中から捨てていくことです。

まずは

①自分に対して

②次に家族に対して

③そして他人に対して

 

その訓練の場として日常があるのです。

地上は自分という魂を成長向上させてくれるところです。

そのために私たちは重くて暑苦しい肉体という物質を着ているのです。

地上は自分の魂を鍛えてくれる格好の場所なのです。

 

でもみなさんの一生は、この地上だけで終わると思わないでください。

みなさんの本当の一生は、この地上に生まれる前から始まっていて、この地上を去った後も続いていくのですから。

 

原因と結果は連綿と続いていきます。

だからこそ、今が大事なのです。

今原因をつくれば、それが結果となり、その結果がまた新たな原因となるのです。

だから今、一歩踏み出す勇気が必要なのです。

 

私たちは肉体を着た霊魂であり、自分の本質は霊魂なのであり、決して肉体ではないということです。

これは意識と意志が向上すれば得心できることなのです。

 

霊性の向上でもう一つ、それは上記の3つの他に、自分の不得手なもの、誘惑に弱いものを無くしていく、克服していく、という大きな課題があります。

これについてはまた次回以降に記したいと思います。