堅田散策記(前編) | 鉄道で行く旅

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兄が滋賀県大津市の堅田を散策してきましたので、前編・後編の2回に分けて記事を作成します。

大阪駅から新快速に乗り、JR湖西線の堅田駅に着いたところです。

 

江若鉄道の鉄コレ

(参考画像)2015年12月26日に堅田駅で撮った113系です。

 

江若鉄道の鉄コレ

2015年12月26日に堅田まで行った理由は、堅田駅前にある江若交通ビル2階の特設会場で鉄コレ「江若鉄道 キニ9 + キハ14」のセットが1つ3,000円(1人2個まで)で販売されたからです。

 

堅田駅の駅舎です。

 

堅田駅前にある「湖族の郷」の記念碑です。

中世における堅田の人達は輝かしい歴史と動乱の時代をものともせず繁栄を築きました。
湖の申し子、「湖族」と呼ばれ、生き生きと活躍していたのです。

 

堅田内湖です。面積約71000平方メートル、流域面積3.1平方キロメートルを有しています。農業用水の水源利用とともに洪水流出の調整池としての役割を持っています。また、淡水真珠の養殖で有名です。

 

堅田内湖公園の月影広場です。

 

野神神社です。

 

野神神社は、南北朝時代の悲運の武将新田義貞の妻「勾当内侍(こうとうのないし)」を祭る神社です。
勾当内侍は、義貞が越前への敗走の途中、堅田の地に留められ、後に義貞の死の報を受け、琵琶湖で入水自殺を遂げたといわれています。内侍を不憫に思った村人がその霊を慰めるため社を建立したと伝わる神社です。境内には、勾当内侍の墓があります。

 

伊豆神田神社です。創祀年代は不詳ですが、社伝によると当社の創立は、貞観二年(860年)に伊岐宿禰是雄が堅田浦の関屋浜に神田神社を勧請し、昌泰三年(900年)に伊豆神社を合祀したと伝承されています。

 

出島灯台(でけじまとうだい)は、滋賀県大津市今堅田一丁目に立つ黒塗り木造の私設灯台です。琵琶湖唯一の灯台であり、大津市有形民俗文化財に指定されています。

 

出島灯台から眺めた琵琶湖の風景です。

 

琵琶湖大橋が見えていました。

 

出島灯台が立つ付近は、琵琶湖がもっとも狭まったところで岩礁も多く、1875年(明治8年)に客船「満芽丸」の転覆で乗客47人が亡くなる水難事故が発生しました。これを受けて、同年に近くの船会社により出島灯台が建てられました。以来、1918年(大正7年)に光源が灯油から白熱灯に変わるまで、出島の9戸の家が当番を決めて灯台の灯を灯し続けていました。白熱灯に変わった後は自動点灯になっていましたが、出島灯台は1951年(昭和26年)にその役目を終え、今はモニュメントとして修復保存されています。

 

(参考画像)1997年2月に撮影した出島(でけじま)の灯台です。この画像は、フィルムカメラのキヤノンEOS-1NとEF17-35mmF2.8USMで撮影しています。

キヤノンEOS-1Nです。

 

私は、作家の若一光司氏による、京阪電車のポスター「 琵琶湖遊行(ゆうぎょう)」により「出島(でけじま)の灯台」を初めて知りました。その「 琵琶湖遊行」を撮影した写真家は横川元亮(よこかわ もとあき)氏です。

「出島の灯台」の京阪電車のポスター掲出は1994年12月のことでした。その当時の一連のポスター集である「近江の四季と歴史文化を訪ねて・琵琶湖遊行(写真集)」は1997年に京阪電気鉄道(現在の京阪ホールディングス)により刊行されています。

若一光司氏の「琵琶湖遊行」です。ポスターの写真には、浮御堂や「居初(いそめ)氏庭園」も登場します。

若一光司氏は、「琵琶湖遊行」を「びわこゆうぎょう」と読ませていますが、これは「びわこゆうこう」または「びわこゆぎょう」が正しい読み方ではないでしょうか。

 

天然図画亭(てんねんずえてい)は、堅田の郷士・居初(いそめ)氏庭園です。

 

天然図画亭は、松尾芭蕉と同じ時代に活躍した茶人藤村庸軒と堅田郷士の北村幽安の合作した江戸時代初期の庭です。国指定名勝に指定されています。
庭に面した縁がある萱葺入母屋造の茶室「天然図画亭」からの眺めは、琵琶湖と対岸の湖東の山並みの雄大な景観を借景としています。

 

御菓子司の金時堂です。お干菓子は「堅田の落雁」として有名です。

 

湖族の郷文学碑「三島由紀夫」です。

「三島由紀夫」は昭和39年(1964年)に「群像」に連載された小説「絹と明察」で描かれた堅田の情景は鮮烈な印象を与えました。

 

湖族の郷文学碑です。これは琵琶湖哀歌の作詞者である奥野椰子夫の顕彰碑です。

琵琶湖哀歌は、1941年4月6日に琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死した第四高等学校(現・金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られたとされています。琵琶湖哀歌の歌手は東海林太郎と小笠原美都子でした。

♪遠くかすむは 彥根城 波に暮れ行く 竹生島 三井の晩鐘 音絶へて 何すゝり泣く 濱千鳥

 

琵琶湖の堅田港です。

 

堅田港付近の風景です。

(つづく)

 

素敵だなと思った出来事は?

2024年4月に由布院(湯布院)温泉の亀の井別荘に泊まったことです。

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