鹿児島県日置市のマンホールカードをいただきました。
鹿児島中央駅へ戻り、路面電車で市役所前駅へ向かいました。
鹿児島市電は利用していた「旅名人の九州満喫きっぷ」で乗車出来るので、ほくほく顔で利用していましたが、前の記事にも書いた通り、お得になるほど乗っていなかったのですがね![]()
と言うことで2日前にも来ていた、鹿児島城(鶴丸城)へ再び来ました。
2日前の月曜日は黎明館がお休みで日本100名城スタンプが押せないことはわかっていたのですが、撮影くらいは出来るかと思って来たんですよね。
でもこの位置までしか行けず、御楼門の撮影しか出来ませんでした
御楼門が開いていました。
振り返って

篤姫像

黎明館
こちらで日本100名城スタンプが押せます。

鹿児島城日本100名城スタンプ↓
日付がぐちゃぐちゃ、令和で書くか西暦で書くか迷ったのかな?
他のお城に合わせて西暦にしたみたいです
鹿児島城は島津忠恒(家久)により慶長6(1601)年に築城され、以後廃藩置県まで島津氏の居城でした。
忠恒は日置市の記事に銅像を載せた島津義弘の三男で、薩摩藩初代藩主です。
館内をさくっと見学しました。


女乗物
NHK大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」で使用されたものだそう。

鹿児島城の遺構はそこまで多くなかったのが残念でした。
鹿児島県は災害の多い地域で、また南国のためシロアリ被害が多いのが遺構があまり残っていない理由の1つでもあるようです。
初日に雨で寄れなかった、西郷隆盛ゆかりの地を歩いてみました。
明治10(1877)年 9月24日午前4時に政府軍の城山総攻撃が始まった時、立て籠る薩軍兵士はわずか300余でした。これを囲む政府軍は、何重もの柵をめぐらしその数4万。
死を決した西郷は夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を出ました。桐野利秋、別府音介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちも一緒でした。
ここに5日間も・・・

すぐ横に廃墟感満載のお土産センターがあって興醒め

この巨大な銅像もどうなの
後で知ったのですがこの洞窟↓の中には入れたみたいです。
本当だ、「ご自由にお入り下さい」って書いてある
銅像のインパクトが強すぎてそこまで確認していなかった~

標高107mの城山展望台中腹にある洞窟はかなり急な坂道を登ることに
周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっているので、それで行ったら楽に行けるでしょうね。
今度は一気に下がって次のゆかりの地へ。
西郷隆盛終焉の地

城山洞窟を出て300m、650歩のところで西郷隆盛の腰を2発の銃弾が命中しました。
「晋どん、もうここらでよか」。
東を向き皇居を伏し拝む西郷を、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされ、49歳の生涯を閉じました。
思っていた以上に若い時に亡くなったのだと驚きます。
西郷以下の幹部は難行軍の末、故郷鹿児島を死に場所に選んだのでした。

西郷隆盛と大久保利通は幼少期、共に学問を学び親友・同志となったのに、最後は決別することになりましたね。
本屋ドラマなどで何度観ても切ないお話です。
この後は市電に乗って鹿児島中央駅に戻りました。
この日は中央駅近くのシルクイン鹿児島ホテルに宿泊することにしたので、駅近くで夕飯を食べることに。
ショッピングモールがいくつかあったりして気軽に入れそうなお店も多かったのですが、どこにでもあるチェーン店ばかりでどうしようか迷いました
雨で寒かった初日に食べれなかったむじゃきの店舗がアミュプラザにあったから、しろくま(かき氷)を食べたいなと思ったら定休日で
縁がなかったです
夜になると冷えてきたのでラーメンが食べたいなと
アミュプラザには2軒ラーメン屋があり、ご当地ラーメンのざぼんラーメンに入ることにしました。
家族連れでも入りやすそうな雰囲気でしたよ。

ざぼんラーメンは1952年創業で、焦がしネギが香るあっさり豚骨スープとたっぷりの具材が魅力なラーメン屋さんだそう。
お得なセットも色々ありました(量が多すぎ
)。

ラーメン屋さんで芋焼酎が飲めるのがさすが鹿児島
しかもお安い
私も主人も飲みませんがね・・・

2人とも基本だと思われる、ざぼんラーメンにしました。
豚骨ベースに野菜・昆布・煮干し・干し椎茸等を加えたスープで、想像していた以上にあっさり。
とても食べやすくてお子さんでも食べられそうなのはいいですが、ちょっとパンチがなかったかな~

あまりパンチがあっても胃が疲れそうだしお腹も壊しそうですが、パンチがないのも寂しいという
1人分だけラーメンセットにしたので、ご飯と餃子が付いてきます。
餃子3個だけでしたがね。

主人は温泉卵とコーンをトッピングしていました。
この頃の2人はこのくらいで十分です
屋上の観覧車「アミュラン」
あまり夜出掛けないのでライトアップする観覧車が観れてうれしかった











