恩智を歩く(後編) | 鉄道で行く旅

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「恩智を歩く」の後編です。撮影日は2024年1月4日(木)でした。

 

東高野街道の交差点の東に恩智神社石鳥居があり、そのすぐ東に自然石のままの「目ナシ地蔵」があります。今はここに地蔵として祀られていますが、一説では、恩智城の見付石だったといわれています。

 

来恩寺(らいおんじ)です。この寺院は、大阪府八尾市恩智中町にある融通念仏宗の寺院です。山号は一心山で、河内西国霊場(三十三所)の第11番札所になっています。

 

大阪・八尾市の老舗醤油醸造元のマルゲン醤油醸造元です。江戸時代から受け継いでいる製法の味わい深い醤油、ポン酢、麹みそなどがここで作られています。ここで小売りもされているようでした。

 

 

高安山山麓の坂道を登っていきます。

 

坂道にあった新旧の道標です。

左:「左 志无四国」

中:「右 感應院 恩智神社」

右:「左 新四國 大阪 是ヨリ一丁 日護摩講」「左 毘沙門天王 安養寺」

 

恩智神社の石段の参道です。

 

恩智神社の地図です。

 

恩智神社の石段は131段あるそうです。それなりに長い坂道を歩いた後の石段でしたので精神的にきつかったです。(笑)

 

恩智神社の手水舎です。水の湧出口は「神縁兎」と「神龍」でした。

 

恩智神社の拝殿です。平成12年(2000年)に建てられた、神社としては新しい建物です。

恩智神社の神紋は「五七桐紋」でした。

 

恩智神社の本殿です。

 

恩智神社の神様は卯と辰といわれ、卯(神縁兎)が神様を道案内したことで、交通安全や縁結びのご利益を導いているとされていて、辰(神龍)は、幸福と昇運や開運のシンボルとされています。

http://onji.or.jp/

 

恩智神社の石段の上から見た参道です。

大阪府立八尾高校陸上競技部の方々が、この参道を走りながら恩智神社に参拝していました。

八尾市高町にある八尾高校といえば、演歌歌手の大月みやこさんの卒業校です。

 

女の港 大月みやこ(37歳) (Fuji Music ch)

 

乱れ花 大月みやこ UPE‐0029 (yoshi yuki)

 

恩智神社の参道の下り坂から見た大阪平野です。

 

遠くに「あべのハルカス」が見えていました。

 

帰りに立ち寄った恩智城址公園です。

 

恩智城は中世この地の豪族・恩智 左近満一楠木正成方に味方した八臣の一人)が築いた城です。自然の高地を利用した城郭で高安連峰との間に堀をめくらせ前方に大阪平野を一望します。堀の中にかつては小島があったのですが、それは昔の一の丸で、現在の城址は二の丸の址といわれています。正平三年(一三四八年)四條畷の戦いで楠木正行が戦死し、恩智城も落ちました。学制領布のときここに小学校が新築され、今では桜の名所として知られています。

 

恩智城址の石碑です。この石碑では「恩智」ではなく「恩地」になっています。

大阪府枚方市の「恩地のうどん!」、「あ~ おんちかった!」とは関係ありませんね。

 

 

城址は旧恩智小学校の跡地でもあります。旧恩智小学校の手洗石が保存されていました。

 

旧恩智小学校の校門から見た大阪平野です。

 

恩智城址から坂道を下りました。画像の上のほうに写っているレンガの門柱が旧恩智小学校の校門跡です。

 

東高野街道に出て、もう一度、萩原家住宅(茶吉庵)の大和棟や煙出しなどを眺めた後、近鉄の恩智駅まで歩きました。

この時点では午前10時30分頃でした。茶吉庵の営業開始時間は午前11時からなので、カフェを利用することができませんでした。

 

 

(参考画像1)

2022年5月4日に撮影した枚方市(ひらかたし)茄子作(なすづくり)の住宅を思い出しました。大和棟や煙出しの構造が、恩智の萩原家住宅(茶吉庵)と似ています。

 

(参考画像2)

橿原神宮前駅

近鉄の橿原神宮前駅の駅舎は1940年の竣工で、村野藤吾建築事務所が設計し、大林組が施工しました。画像のような大和棟のデザインです。(2015年11月撮影)

 

恩智駅から近鉄大阪線の区間準急で大阪上本町駅に帰りました。(2015年12月撮影・1620系)

 

鮮魚列車

近鉄大阪線といえば鮮魚列車が懐かしいです。(2015年12月撮影・2020年3月13日に運行を終了した2680系)

(おわり)

 

体調崩したときに食べるものは?

うどんとかパンです。お粥は滅多に食べません。

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