恩智を歩く(前編) | 鉄道で行く旅

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2023年1月4日(木)に大阪府八尾市の恩智(おんぢ)まで行ってきました。

 

大阪上本町駅から大和朝倉駅行の区間準急に乗車しました。車両は2800系でした。

 

2800系の車内です。大阪上本町駅から鶴橋駅までは乗車客が少ないのですが、鶴橋駅から、座席が埋まりました。

 

恩智駅に着いたところです。

 

恩智は「おんぢ」と読みます。ただし、ローマ字表記はOndi(おんぢ)ではなくOnji(おんじ)になっていました。

 

高架下にある恩智駅の駅舎です。

 

恩智駅を後にして高安山方面にある恩智神社に向かっているところです。

 

恩智神社の「お旅所」付近にあった子護地蔵尊です。

 

お旅所付近は「恩智石器時代遺蹟」です。

この地、天王の森は恩智神社のお旅所でこの森を中心として東高野街道から恩智川に至る付近一帯は府下でも有名な弥生時代の遺跡で大阪府の建てた碑があります。近年縄文式土器も出土しています。今日まで地下およそ三メートルの辺から種々の石器土器が出土し、またこの斜面から石鏃が露出しました。

 

恩智神社の「お旅所」です。

 

風情のある街並みを眺めながら恩智神社に向かっています。この高安山の山麓は江戸時代に「河内木綿」で栄えたところです。

 

府道・八尾茨木線と東高野街道の交差点にあった道標です。「東 信貴山、西 大坂 道」「南 高野山、 北 平岡」

東高野街道沿いに残る東高野街道案内の道標としては八尾市内唯一のもので明治6年(1873年)の建立です。

 

萩原家住宅(茶𠮷庵)です。屋根は修復されているようではあるのですが、たいへん立派な大和棟の住宅です。

恩智神社参道と東高野街道の交差点にあり、1600年ごろから地域の肝煎として屋敷を構え、1750年ごろに河内木綿問屋を開業。1876年(明治4年)より郵便事業にかかわり、主屋の一部を改装して「恩知」郵便局となった。河内木綿問屋の屋号は、茶屋吉兵衛。代々萩原吉兵衛(茶屋吉兵衛)を名乗る。江戸時代後期建築の主屋は、木造平屋建大和棟で北面を入母屋造桟瓦葺とし、正面に本瓦葺下屋を通す。木綿蔵、巽蔵も江戸時代後期の建築。主屋とともに神社門前の景観の核をなしている。米蔵、表門及び高塀、裏門、納屋の計7棟が国登録有形文化財。現在は、「茶吉庵」と命名し、カフェ・レンタルスペース等として再生活用している。

 

「河内国二の宮」である恩智神社の「一の鳥居」です。ちなみに「河内国一の宮(元春日)」は枚岡神社です。

 

(参考画像)

2022年2月に撮影した枚岡神社です。

 

萩原家住宅(茶𠮷庵)の地図です。

 

(つづく)

 

一か八かの勝負したことある?

なぜ、今日は「成人の日」ではないのですか?

一か八かの勝負は、多くの人が経験していると思います。

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