野里の渡し跡の再訪記(2022年1月) | 鉄道で行く旅

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2022年1月8日に大阪市西淀川区の野里住吉神社付近と野里の渡し跡を再訪問しました。

再訪記のため、以前の記事内容と重複しているところがあります。

今回のウォーキングの起点はJR東西線の御幣島(みてじま)駅です。

 

御幣島駅構内の記念スタンプコーナーです。記念スタンプを集める習慣はないのですが、今回だけは特別に押印しました。

 

その理由は、御幣島駅の記念スタンプに野里の渡しの石碑と渡船の絵が入っているからです。

野里の渡しと併記されている「大浦の渡し」というのは福(西淀川区)と伝法(此花区)の間を結んでいた新淀川の渡船のことです。「大浦の渡し」は伝法大橋ができた後の1950年(昭和25年)に廃止されました。「大浦の渡し」については次回の記事にしたいと思います。

 

御幣島駅を出たところです。ここから野里の渡し跡に向かいました。

 

国道2号線にある歌島橋を渡った後、振り向いて歌島橋交差点方面を撮影しました。中央の白い建物がヤナセの大阪支店です。

 

小学生の頃に「淀商業高校」で珠算検定を受けたことを思い出しましたので、少しだけ迂回して「淀商業高校」の前を歩きました。偶然ですが、同校の「珠算部の全国大会出場」を祝う垂れ幕が出ていました。

 

国道2号線に戻り、西淀川郵便局の前を通りました。

 

西淀川区の野里に4軒もあった映画館の跡地の一つに立ち寄りました。昔の地図によりますと、ここに「野里東映」があったようです。

 

賃貸マンションに建て替わっている丸正ビルです。

 

1970年に野里交差点で撮影した阪神電車の国道線(1975年5月に廃止)の画像です。電車の左側に「ナショナルのお店 松下工業所」が写っています。また、電車の右上に「丸正」の看板が写っています。

 

今回確認したところ、「ナショナルのお店 松下工業所」は「Panasonicのお店 mic matsushita(松下工業所)」として、今も健在でした。

 

聖火燃ゆ

同じく1970年に野里交差点で撮影した画像です。電車の右側に写っている「山は富士なら 酒は白雪」の看板(電照広告)のところが壺屋(食堂)です。

 

画像中央の下のところが壺屋です。この日はシャッターが降りていたので休業日のようでした。

 

(参考画像)

営業日の壺屋です。2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、しばらく休業されていたようですが、大阪府の「感染防止認証ゴールドステッカー」飲食店の認証を受けたうえで、2021年中に営業を再開されました。(2022年1月9日現在の情報です)

(2023.1.28追記)壺屋さんは、2022年12月末日をもって廃業されました。その後、オレンジ薬局が開業しています。

 

2008年1月に撮影した野里交差点付近です。野里交差点は国道2号線と姫島通の交差点です。

 

2008年1月に撮影した野里交差点を通過する大野行の赤バス(ベンツ製)です。この「赤バス・西淀川ループ」は2005年3月27日に運行を開始し、2013年3月末まで運行していました。

 

に~よんバス

2013年9月に撮影した野里交差点を通過する「に~よんバス」です。赤バスの代替継続路線だった「に~よんバス(2017年3月末をもって廃止)」も今はありません。2014年4月1日以降は通常の乗合バスではなく福祉バス(利用者は乳幼児の同伴者、妊婦、高齢者、障がい者に限る)として運行されていました。

 

2008年1月に撮影したアーケードがあった頃の野里本町商店街の野里交差点側の出入口です。平成30年台風第21号(2018年9月)によって大きな被害を受ける前のアーケードの姿です。

 

2003年の大晦日に撮影した野里本町商店街です。

 

2003年の大晦日に撮影した野里本町商店街のアーケード内です。

 

2022年1月現在の野里本町商店街の野里交差点側の出入口です。アーケードがなくなっているうえに、営業している商店が少ないので商店街らしさが希薄になっているような感じです。

 

淀川戎神社の戎大祭の幟が出ていました。

 

この右側は、かつて野里市場(野里公設市場)があったところです。

 

野里住吉神社の鳥居前に着きました。

 

(参考画像)

2008年1月に撮影した野里住吉神社の境内から見た野里本町商店街のアーケードです。

 

野里住吉神社の鳥居正面の左隣です。ここがマルワ模型店(跡)だと思います。小学生時代の思い出としては、鉄道模型は、まだHOゲージしかなくて高価だったので買うことができなかったのですが、飛行機とか自動車などのプラモデルは、ここで何度か買った思い出があります。その頃は野里本町商店街も賑わっていました。

 

野里住吉神社に隣接していた残り3軒の映画館跡を探索しました。

塚本駅と野里

1967年頃の野里住吉神社周辺の地図です。地図上の町名は旧町名です。

 

画像の右側が映画館「リボン座」の跡地です。

 

画像の右側が映画館「テアトルリボン」の跡地です。

 

野里住吉商店街に移動しました。

この付近が映画館「野里大映」の跡地です。

 

「野里大映」の近くにあった玩具店の跡です。

私の少年時代は、年始休業中の商店街の中でも、この店だけは元旦から営業していました。その頃は、「お年玉」をもらった子供たちが、元旦早々から「おもちゃ」を買いにくる玩具店でした。

 

野里住吉神社の本殿です。

 

野里住吉神社の境内にある淀川戎神社です。戎大祭期間の前日でしたが、それなりの準備が終わっているようでした。

 

野里住吉神社の境内にある「野里の渡し」の石碑です。

 

「野里の渡し」の説明板です。

 

野里住吉神社の石垣です。旧中津川の右岸の堤防だったところです。

 

1696年(元禄9年)の「野里村」周辺の地図です。

 

1845年(弘化2年)の「野里村」を含む地図です。

 

1909年(明治42年)の地図です。1876年(明治9年)に「かしわの橋」が架橋され「野里の渡し」が廃止された後の地図です。(新淀川の開削後で、明治時代の末期に中津川が埋め立てられる前の地図です)

 


西淀川区野里1丁目20にある、「野里の渡し・かしわの橋」跡を示す石碑です。(2022年1月8日)

 

(参考画像)

2008年1月に撮影した「野里の渡し・かしわの橋」跡を示す石碑です。今は閉店している「たばこ屋(倉知たばこ店)」さんが、まだ営業していました。

 

野里まで行ったついでに旧中津川の左岸(対岸)の跡も再訪問しました。

野里の渡し・かしわの橋の対岸(左岸)側です。現在の柏里小学校の北東あたりです。

 

その移動途中で見た「南和タクシー」の大阪本社営業所です。この風景は、私の少年時代の記憶のままでした。

南和タクシーの設立日は1960年(昭和35年)11月4日だったそうです。

 

西淀川区花川1丁目8にある旧中津川左岸の跡地に着きました。

 

中津川左岸の堤防に自生したクロガネモチの木が堤防時代のまま生き残っています。

 

「中津川堤防跡とくろがねもち」の説明板です。

(おわり)