稗田環濠集落を歩く(後編) | 鉄道で行く旅

鉄道で行く旅

鉄道旅行を中心としたブログ記事を投稿しています。

「稗田環濠集落を歩く」の後編です。

奈良県大和郡山市の稗田(ひえだ)環濠集落はJR郡山駅(奈良県)から徒歩圏内のところにあります。

 

後編は賣太(めた)神社からです。今回の稗田環濠集落の撮影日は2021年12月22日でした。

 

賣太神社の東側の稗田環濠です。

大和郡山市のホームページの説明には「環濠は改修され常に水を湛えています。見学は自由にできますが、落ちないように注意してください」と書いてあります。

 

稗田環濠集落の中にある賣太神社の境内です。稗田環濠集落は、この賣太神社を中心に発達したとされています。

 

賣太神社の拝殿です。賣太神社は、古事記編纂に携わった稗田阿礼を主祭神に祀っています。天鈿女命と猿田彦命が副祭神です。

この神社の詳しい創建年は不明ですが、平安前期の延喜式神名帳に「大和国添上郡 賣太神社」と記載されていますので、平安時代以前の創建であることは確かです。

また。賣太神社の創建については、「稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代(飛鳥時代)までには創建されたものとみられる」という説もあるようです。

 

賣太神社の南側の稗田環濠です。

 

稗田環濠に沿って歩きました。

 

稗田環濠の南西側です。

 

稗田集落の南西側にある稗田堀橋と1839年 (天保10年)に建立された道標です。

道標の正面(西側)には、「すぐ 大峯山上 かうや(高野)  左 ぼだいせん(菩提山) 道」と刻まれています。

菩提山というのは、奈良市菩提山町にある正暦寺(しょうりゃくじ)のことです。

 

稗田堀橋を渡ったところにあるサザンカの生垣です。

 

稗田堀橋の上から見た稗田環濠集落の風景です。

稗田の集落が現在のような姿になったのがいつ頃なのか、また、環濠の掘削がいつ頃なのかは、定かではありません。

 

稗田集落の存在を示す最も古い史料は、「経覚私要抄」の1444年(文安元年)2月の記事で、古市胤仙(室町時代中期の武将で生誕年は不詳・1453年没)が稗田に陣を敷いたことが記されています。

 

その後、「大乗院雑事記」の1479年(文明11年)と1482年(文明14年)の記事にはそれぞれ、稗田が筒井氏の攻撃によって焼かれたことが記されています。

 

稗田環濠の西側の風景です。

 

稗田環濠の歴史を感じさせる風景です。

 

稗田環濠の北西側の風景です。サザンカの花が咲いていました。

 

稗田環濠の北東側の風景です。環濠の北東側は七曲りとよばれる特異な形をしています。

 

稗田環濠集落から近鉄郡山駅まで歩き、近鉄を利用して大阪難波駅まで帰りました。車両は8600系でした。

 

(付録)思い出の画像 ・・ 2008年4月のサクラの開花時期に郡山城跡公園付近で撮った近鉄(橿原線)の電車です。

郡山城跡は「日本さくら名所100選」の一つです。

 

8810系です。

 

15200系「あおぞらII」です。

 

リニューアル前の20000系「楽」です。20000系は、1990年の製造で、2020年にリニューアルされています。

 

23000系「伊勢志摩ライナー」です。

 

2012年に廃車になった3000系ステンレスカーです。

(おわり)