三十三間堂の太閤塀 | 鉄道で行く旅

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京都・三十三間堂の太閤塀を見たことがなかったので、わざわざ見に行ってきました。(2022年2月21日の旅行記です)

この日の朝は眼科クリニックに行く日でした。その診察を受けた後、京阪電車の北浜駅から三条駅に向かいました。

 

たまたま北浜駅に入ってきた出町柳行の3000系に飛び乗りました。快速特急「洛楽」に乗ったつもりだったのですが、京橋駅停車時に「次は守口市駅」というアナウンスを聞き、ようやく「快速急行」であることに気がつきました。いまだに2021年9月25日変更の新ダイヤに慣れていないのです。(笑)

 

快速急行の車窓から見た風景です。懐かしの「寝屋川グリーンシティ(最終的にはイオンモール寝屋川)」が更地になっていました。

また、枚方市駅(ひらかたしえき)周辺の再開発事業(枚方市駅周辺地区第1種市街地再開発事業)も進んでおり、京阪電鉄の旧枚方事務所の建物も消滅していました。ここ数年は京阪電車に乗る機会が少なくなっていますので、知らない間に激変していた京阪沿線の風景は驚きの連続でした。

将来の話としては、京阪本線(寝屋川市・枚方市)の連続立体交差事業により、香里園、光善寺および枚方公園の3駅が高架になり、21カ所の踏切が除去される予定です。

 

高架になる前の枚方市駅(1971年)

跨線橋の裏側に少しだけ写っている三越枚方店(2005年5月閉店)の看板が懐かしいです。

 

高架になる前の枚方市駅の大阪方です。この列車は、淀屋橋~枚方市間の区間急行です。

枚方市駅の高架工事が完成したのは1993年3月25日でした。

 

今回の旅に戻ります。

三条駅に着きました。京阪三条北ビルで昼食をとる予定でしたが、以前から閉店していた喫茶店「ピエモンテ」に続いて、「麺処 あしかり 三条店」までもが2021年に閉店していました。

この日は、「風の家 三条店」を利用しました。

 

三条駅から京阪電車で七条駅に移動しました。

七条通りと川端通り(京阪本線旧線跡)が交差する、現在の七条大橋の交差点です。

京阪電鉄の東福寺駅~三条駅の地下化は1987年5月24日でした。

 

昔の七条駅

京都市電ほか

地上時代の京阪電鉄七条駅の下りホームと三条行の上り電車です。(1971年頃の撮影です)

1978年10月1日に京都市電が廃止されるまで七条駅の駅前に平面交差(ダイヤモンドクロス)があったのです。

(参考情報)

京阪電車と京都市電の平面交差は伏見稲荷駅と四条駅(現在の祇園四条駅)にもありました。

伏見稲荷駅付近の平面交差廃止が1970年4月1日(京都市電稲荷線廃止日)で、四条駅の平面交差廃止が1972年1月23日(京都市電四条線廃止日)でした。

 

七条駅から三十三間堂に向かいます。

 

京都国立博物館前です。この南側(画像の右側)に三十三間堂があります。

 

京都市電の最終運行日の1978年9月30日に京都国立博物館前で撮影した京都市電です。

 

三十三間堂の入口です。三十三間堂を拝観するのは2回目でした。

 

蓮華王院三十三間堂の本堂(国宝)です。(本堂内は撮影禁止です)

本堂内の千手観音坐像、千体千手観音立像、観音二十八部衆および風神・雷神などは昔見たときの記憶のままでした。

 

三十三間堂の境内の東側にある池泉回遊式庭園です。

 

2021年3月に整備されたので新しい庭園のように見えますが、実は1961年に造園家の中根金作(1917年~1995年)氏によって造園された庭がベースになっています。

 

今回の拝観目的の太閤塀です。

残念なことに、冬季の閑散期を利用した境内整備工事のために太閤塀に近づくことができませんでした。

この画像はズームレンズの望遠側で撮っています。

 

文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が寄進した太閤塀(初代)は、完成翌年の文禄5年(1596年)の慶長伏見地震で倒壊しており、現存する太閤塀は、豊臣秀頼が再建したものです。

 

三十三間堂の南大門(重要文化財)です。この門の虹梁(こうりょう)の刻銘(こくめい)から1600年(慶長5年)に豊臣秀頼が建立したものであることがわかっています。この場所にある南大門と太閤塀は、元々は、大仏殿の名で知られる方広寺の南大門と南側の塀だったものです。その昔は、この場所が方広寺境内の最南端でした。

 

塩小路通りから見た太閤塀(重要文化財)です。左奥に京都タワーが写っています。

 

太閤塀の丸瓦の桐紋です。この太閤塀の桐紋に関しては、豊臣家の家紋から連想して「五七の桐」と書いている人が結構いますけれども、この丸瓦の桐の花の個数を数えてみたところ「五五の桐」でした。太閤塀の丸瓦の桐紋が「五七の桐」になっていない理由については、私にもよく分かりません。

なお、右側から2つ目にある「左三つ巴」紋は、神社仏閣によくある「防火」のためのまじないです。

 

(参考画像)

京都迎賓館で撮影した「五七の桐」の金具です。(2020年1月)

 

三十三間堂の太閤塀と南大門です。

(おわり)